独白 愉快な“病人”たち

6年前にくも膜下出血 神足裕司さんは「書く」が存在理由

コラムニストの神足裕司さんと奥様
コラムニストの神足裕司さんと奥様(C)日刊ゲンダイ

「目を覚ましても今までのご主人と思わないでください。たぶん、記憶はありません」

 家族は医師からそう言われたそうです。でも、昔の記憶はちゃんとあるし、今こうして筆談形式でインタビューを受けたり、取材をしてコラムを書いたりもしています。今日も取材でVR(バーチャルリアリティー)の体験をしてきました。ほとんど話せませんし、出来事もすぐに忘れてしまうし、自力では寝返りもできない要介護5ですけどね。

「くも膜下出血」を発症したのは、2011年9月です。広島から東京に向かう飛行機の中、もうすぐ羽田という時だったそうです。

 実は、その時の記憶がないんです。覚えているのは、週刊誌の取材で地方へ行き、そこから広島へ行って番組を終え、空港に向かったこと。多忙だったせいか、いつも以上に疲れていて、たぶん空港のラウンジで寝たのだと思いますが、その辺りから記憶が曖昧で飛行機に搭乗したことも定かではありません。

「大変重篤です。慌てず、すぐに来てください」

 家族はそう言われて病院に駆けつけたそうです。「もう助からない」という事態になり故郷の広島から妹も飛んできました。何週間も仮死状態のまま手術は2回行われ、医師からは「一生目を覚まさないかもしれない」と言われたらしいです。

 冒頭の医師の言葉は、その後に奇跡的に意識が戻った時に言われたものだそうです。

 刻々と変わる状態の中、家族はその都度、「植物状態になるかもしれない」「寝たきりになる」「記憶喪失かも」「自分では何もできない」「食事は二度と口からは食べられない」など、次から次へと最悪な場合のことを医師から告げられたといいます。その頃のボクは、頭頂部、鼻、お腹、腕、足、いろんなところに管がつながれていました。といっても、ボクは何も覚えていませんけど。

 水頭症の手術も受けまして、額の皮膚の下に管が見えます。今でも頭から出る余分な水は、体の中を通って穴をあけた胃に流し続けているらしいです。

■思いついたことは何でも書き留める

 急性期の大学病院と回復期のリハビリ病院を合わせて、病院で生かされている時期が約1年続きました。国が定めた回復期病院入院の上限180日の後は、人づてに聞いた高次脳機能障害のリハビリを重点的にやっている慈恵医大の病院へ3カ月入院しました。

 回復期の入院で一番の収穫は、「クチュクチュペッ」ができるようになったことです。ボクは例のごとく覚えていませんが、水を口に入れても飲むこともできなければ、吐き出すこともできませんでした。出すとなると、ダラァ~ッと垂らす感じだったのです。だから「ペッ」は3カ月間、毎日、土日も元日もなくリハビリの先生が来て練習を続けてくれたたまものなんです。「やればできるようになるんだ」と家族は感動していました。

 そのくらいの状態で約1年ぶりに自宅に戻り、その直後からTBSラジオに手紙を書く形式で仕事を再開しました。ついさっきの出来事も、ちょっと前に考えていたこともすぐに忘れてしまうので、思いついたことは何でも書き留めるようになりました。左半身はまひで動きませんが、幸いにも右手は健在で書くことができるんです。

 だから、意識が戻ってからは早く仕事がしたいと思っていました。ヤル気がない時にふと横を見ると家族がいて、何も言わずに寄り添っていてくれる。それを見ると「頑張らないとな」と思い、家族のために復活したいと決意しました。自分のためだけだったら、もうあきらめていたかもしれません。

■「自分の筆で家族を養いたい」

 あれから丸6年です。食事もトイレもお風呂も介助が必要で、ソーシャルワーカーからも身内の医者からも、療養型の病院を勧められたこともありました。自宅を改装しても在宅介護は無理だろうと思われたのです。でも、妻、息子、娘がそれぞれに「パパを家に」と思ってくれていたようで、自宅に帰ることができました。もし療養型の病院に入っていたら今のボクはなかったでしょう。

 今のボクにとって「書くことは生きること」です。生きる意味であり、存在理由といっても過言ではありません。家族や周囲に迷惑をかけていますが、書くことがギリギリの生きている証し。自分の筆で家族を養いたいのです。

 病気になって人の優しさを実感しました。高齢者や障害者の不便や考えていることも少しわかりました。だから“今の自分でもまだ何かできることがあるはず”。せっかくこういう体になったのだから、こういう体でしかできない体験をたくさんしたいと思います。

 ちなみに、今日はこれからしゃぶしゃぶを食べにいきます(笑い)。

▽こうたり・ゆうじ 1957年、広島県生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。在学中からフリーライターとして活躍し、西原理恵子氏との共著グルメリポート漫画「恨ミシュラン」がベストセラーになる。テレビ、ラジオにも多数出演していた絶頂期にくも膜下出血で倒れるが、奇跡的に復活し、現在、月に約10本の原稿を執筆している。著書に「一度、死んでみましたが」(集英社)などがある。

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