余命4カ月と言われた私が今も生きているワケ

もう二度とベルトコンベヤーのような手術はしたくない

高橋三千綱氏
高橋三千綱氏(C)日刊ゲンダイ

 酒を控えるようになると暇になった。

 飲んでいた頃は正気な時だけが使える時間だったが、飲まないと、「こんなに時間があったのか」と思うほどすべてが自分の時間となった。空漠としていた時間はすべて自分のものとなった。世の中の飲み助も、ずいぶん時間を無駄にしているのではないかと思う。

 10年くらいたまっていた仕事があった。126枚くらいまで進んでいたが、本にするには300枚くらいは必要になる。それを入院中にあっという間に仕上げてしまった。あと2枚くらいで終わりという時にパソコンのデータを消してしまい、「ギャー」と病室中に響く叫び声を上げるアクシデントもあったが、かえって推敲ができたからよかったのかもしれない。

 それが4年前のことだが、それからも「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」「投資家の父より息子への13の遺言」「さすらいの皇帝ペンギン」「がんを忘れたら、『余命』が延びました!」の4冊の本を出した。その間には時代小説「右京之介助太刀始末」シリーズの「お江戸の姫君」「お江戸の信長」の2冊も書き上げている。もの凄く仕事をしているのだ。

 2013年4月、今度は「胃がん」を宣告された。女房が医師に呼ばれ、「手術しなければ半年後は覚悟してください」と言われ、真っ青な顔をして面談室から出てきた。僕はそのとき、「放っておけ」と彼女に伝えた。オレの体だ、と。

 半年後に死ぬと言われても、手術したら仕事はできなくなる。むしろ、女房には「手術したら半年後にオレは死ぬよ」と伝えた。中上健次は腎臓がん、つかこうへいは肺がんだった。つかとは20代のころからの付き合いで、同じ糖尿病仲間でもあったが、62歳で亡くなっている。僕の知り合いで、がんの手術をした人はだいたい半年で死んでいるから、女房には「手術すれば半年。しなければ5年は生きる」と言ったのだ。

 実際、胃がんと言われてから4年半。肝硬変で死ぬと言われてから8年も経っている。

 かかりつけ医の先生も肝硬変の診断については懐疑的で、「余命4カ月なんてありえない」と言っていた。そういう言い方をする専門医も「おかしい」と話した。肝臓というのは臓器としては古く、原始生物みたいなもの。そう簡単にはダメにならないらしい。

 もっとも、胃がんの時にすんなりと手術を拒否できたわけではない。旅行先のグアム島まで病院から「至急、戻ってこい」と連絡が来た。

 しかし、僕は食道がんの時のようにベルトコンベヤーのような手術はしたくない。「いま下痢してクソしてるんだ。それどころではない」という言葉が自然と出てきた。

高橋三千綱

高橋三千綱

1948年1月5日、大阪府豊中市生まれ。サンフランシスコ州立大学英語学科、早稲田大学英文科中退。元東京スポーツ記者。74年、「退屈しのぎ」で群像新人文学賞、78年、「九月の空」で芥川賞受賞。近著に「さすらいの皇帝ペンギン」「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」「がんを忘れたら、『余命』が延びました!」がある。