がんと向き合い生きていく

がんに加え「エイズの疑い」も告知され空気が凍りついた

都立駒込病院の佐々木常雄名誉院長
都立駒込病院の佐々木常雄名誉院長(C)日刊ゲンダイ

 およそ10年前のことです。頚部、腋下のリンパ節が腫大した会社役員のDさん(56歳・男性)は、N病院で頚部リンパ節生検を行い、翌週に検査結果の説明を受けることになりました。A担当医からは、前もって本人の他に家族も集まるように連絡があり、Dさん、奥さん、息子さん、娘さんで説明を聞くことになったといいます。

 がん専門のA担当医は、これまでも患者本人に病名を告げる時は家族同席で説明していました。Dさんと家族は「Dさんは悪性リンパ腫です。そけい部のリンパ節の腫大もあり、ステージⅢです。化学療法が必要です」と告げられました。

 さらに、A担当医の告知は続きました。

「リンパ節生検の前にDさんの了解を得て検査させていただいたのですが、実はHIV陽性です。エイズの疑いがあります。HIV陽性の悪性リンパ腫の患者さんの治療は当院では慣れていないので、某病院を紹介させていただきます。よろしいでしょうか?」

 空気は一瞬にして凍りつきました。Dさんもご家族も悪性リンパ腫どころではなく、「エイズ」という病名に仰天したのです。Dさんは仕事でよくアジア諸国に出張していました。ご家族はエイズが自分たちに感染していないか、まずそのことが心配になり、A担当医にすぐに検査して欲しいと申し出ました。A担当医は「まず、その心配はないと思う」と答えながら、その場の空気を察して緊急で採血検査を行ってくれたそうです。30分ほどで結果が出て、全員が陰性だとわかりホッとしたといいます。

 しかし、娘さんは「お父さんは不潔!」と叫び、1カ月後に自分の結婚式を控えていた息子さんは、「出席しないでくれ。婚約者にはエイズのことは絶対に言わないでくれ!」と話しました。奥さんは黙ったままうつむいていたそうです。

 Dさんはがんの診断は覚悟していました。しかし、エイズの疑いがあるという告知によって、自分を見る家族の目が「蔑む」ようになったことに対し、何とも答えようがなかったといいます。

■本来は本人に意思を尊重

 ここでは、A担当医がDさん本人の了解なしに、家族の前で「エイズの疑い」と言ってしまったことに大きな問題があります。

 がんの告知は時代により異なります。1985年ごろまでは、患者本人にはがんという病名すら告知しませんでした。その後、2000年ごろまではがんの病名だけは告知しても、「予後」や「死」については話さない時代がありました。さらに2000年以降は「治らない短い命」まで告げる場面に出会うようになりました。

 また、かつては患者本人に告知する前に、ご家族に「本人にはどう話すか?」と相談するようなこともありましたが、2005年の個人情報保護法で、法的には「まず、がんであることを本人に話す。家族に話すとすれば本人の了解が必要」となったのです。

 いま、医師によっては本人を前にして「あと3カ月の命です。もう治療法はありません」などと告げている場面があると聞きます。そう告げられた患者さんはその後どう生きていけるのか、とても心配です。

 一方、エイズは1980年代に明らかになった感染症ですが、当時から一般的には担当医からエイズであることを患者本人に告知します。しかし家族に対しては、「本人から伝えるかどうか」本人の意見が尊重されます。通常、本人を無視して家族に告げることはないようです。患者さんによっては、「自分が死んだ後でも、家族にはエイズとは言わないでくれ」と話される方もいらっしゃいます。個人情報保護は、たとえ本人が亡くなった後でも続くのです。

 がんでもエイズでも、告知にはたくさんの問題があります。それでも、現代はまず患者本人に告知されることに変わりはありません。

 Dさんの悪性リンパ腫は、治療で消失して5年経過し、治癒しました。エイズは内服薬でコントロールされていて発症が抑えられています。息子さん、娘さんはすでに独立し、Dさんは奥さんと2人暮らしを続けています。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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