独白 愉快な“病人”たち

「おはよう」言えず 青木美保は発声障害から復帰に10年

活動休止中は酒屋さんでアルバイトも経験(C)日刊ゲンダイ

■「もう歌わなくても生きていける」と考えたら気持ちが楽に

 実は私、01年に無謀にも離婚したんです(笑い)。

 いびつな家庭の事情があったので、治療するにあたり、少しでもストレスは排除したほうがいいんじゃないかと思って……。当時は多少の蓄えもあったし、長くても2~3年で復帰できると思っていたのです。

 ところが、思うようにはいかないもので、活動休止から数年後には生活が苦しくなり、家賃の高い東京から離れました。故郷の熊本に帰ることも考えましたが、そこまでいくと、復帰するときに大変だと思って千葉へ(笑い)。家賃は3分の1になりました。

 09年ごろからは近所の酒屋さんでアルバイトを始めました。その前の年、自分ではそろそろ歌えるようになったと思ってディレクターに歌を聞いてもらったのに、彼の表情は限りなく曇り、「ああ、まだだめなんだ」と思ったからです。

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