余命4カ月と言われた私が今も生きているワケ

「がん告知されたら仕方ない。堂々と泣いてみるのもいい」

高橋三千綱氏
高橋三千綱氏(C)日刊ゲンダイ

 すでに遺言状を書いて家族に渡してある。周囲には、自分がその辺で倒れても、救急車を呼ぶなと伝えてある。

 死ぬなら肝臓がんがいいだろう。2009年に肝硬変になっているのだから、肝臓がんなら納得もできるし、肝臓がんは胃がんや肺がんなどと比べても痛みが少ないらしい。

 人間の細胞にはアポトーシスというものがある。あらかじめ細胞内にプログラムされた細胞の自殺のことだ。生命とは自然の中で育ち、それにそぐわなくなったものは淘汰されていく。細胞内には、人間が生まれてきた時点ですでに自殺するプログラミングが組み込まれているというのだからおもしろい。「自殺細胞」といわれるのはある種の暗示であり、自由が満喫できればアポトーシスは働かなくて済む。逆に満喫できなくなったら呼んでくれよ、と彼らが言っているような気がする。

 小説「さすらいの皇帝ペンギン」でも書いたが、ベテランの登山隊長がヒマラヤのマナスルに登る際、地元のシェルパから「登ったら、いくら儲かるんだ?」と聞かれるシーンがある。山に登ること自体にさほどの目的があるわけではなく、現代人は、健康のためや生きがい、生活の楽しみのために山に登る。

 しかし、地元のシェルパにしてみれば、山に登ることは日常の生活でしかない。私はスポーツジムにも興味はないし、ジョギングすることにも興味がない。好きとか嫌いではなく、単に興味が持てないということだ。

 長生きしたいから健康でいたいという人たちがいる。本来は何かしらの目的があるから長生きするという、手段が先でなくてならないだろう。

 今も忘れられないのは、映画製作をした際、山梨県の小淵沢までロケに行くお金がなくなり、妻と幼い娘に車を乗ってこさせ、八王子の中古車店で30万円で売ったことだ。そのとき、帰りの足を失った妻が3歳の娘と手をつないで坂道を上っていく後ろ姿が脳裏に焼き付いている。そのとき、家族を不幸にしてまで得る夢なんかあるものかと思った。

 娘は今、夫の仕事の都合でアメリカの西海岸に住んでいる。昨年、孫の顔を見るため、妻と行ってきた。娘の案内で見たドジャースタジアムの野球には感動した。

 がん告知を受けたら仕方ない。言われたらさすがにショックだろうが、北海道にでもどこでも行ったらいい。そして堂々と泣いてみる。そうしたら人としての深みも出てくるだろう。

 自分はとにかく仕事をしたし、スポーツも遊びも好きなだけしてきた。

 (おわり)

高橋三千綱

高橋三千綱

1948年1月5日、大阪府豊中市生まれ。サンフランシスコ州立大学英語学科、早稲田大学英文科中退。元東京スポーツ記者。74年、「退屈しのぎ」で群像新人文学賞、78年、「九月の空」で芥川賞受賞。近著に「さすらいの皇帝ペンギン」「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」「がんを忘れたら、『余命』が延びました!」がある。

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