独白 愉快な“病人”たち

4回目の手術前に遺書 仁科亜季子が振り返る壮絶がん治療

「孫が成人するまでは元気でいたい」と語る/(C)日刊ゲンダイ

 ステージでいえば1~2の間でしたが、がんには“顔立ち”や“性格”があるらしくて、私のはひねくれもので、やんちゃだったみたいです。そのため、子宮、卵巣、リンパ節まで全部摘出となりました。当時はまだ「がん=死」というイメージが強かったので、手術に迷う余地はありません。まして子供は8歳と6歳です。先生に「何が何でもあと10年は生かしてください!」とつかみかからんばかりでした。

 治療は、抗がん剤、手術、放射線の順に行うことになり、「6カ月の長期入院」が予定されました。入院までの2週間はてんてこ舞い。自分の入院準備どころじゃありません。まずは、子供たちの夏休みをどうするかと考えて、サマースクールの資料を取り寄せて手続きを行い、家の中が張り紙だらけになるくらい指示書のようなものを張りまくり、「自分ががん?」と感傷にひたる暇などありませんでした。6カ月の予定だった入院は、私の負けず嫌いの性格もあって4カ月で退院できたのですが、つらくて長い4カ月でした。

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