独白 愉快な“病人”たち

4回目の手術前に遺書 仁科亜季子が振り返る壮絶がん治療

「孫が成人するまでは元気でいたい」と語る/(C)日刊ゲンダイ

■子供たちがいたから耐えられた

 治療はまず、抗がん剤は足の付け根からカテーテルで入れるんですけど、もう、熱湯が体の中でひっくり返ったみたいな痛みでした。今は薬も改良されて楽になっているようですが、当時はつらかった。病室では、足の付け根に“おもし”を乗せられて動けなくするんです。そんな状態で3分置きに吐き気がくるものだから、顔だけ横に向けて寝たまま吐いたりしていました。しかも1度目は薬が合わず、2度もやることになって……。

 抗がん剤の副作用もありました。笑っちゃうんですけど、当時は「氷のヘルメット」というものがあったんです。かぶって毛根を引き締めて、脱毛を軽減するとか……。私もかぶりましたが、効果はありませんでした。ある朝、起きたら枕が真っ黒。指で髪をすくと、何の抵抗もなくごっそり抜けてしまうんです。3日でツルツルになりました。そんな時、子供って空気を読むんですかね。「一休さんみたい」と笑ってくれて救われました。

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