「特定疾患」に指定されている難病の「特発性拡張型心筋症」は、病気そのものを治す決定的な治療法がありません。心筋細胞が変性し、心臓の筋肉がどんどん弱まることで僧帽弁閉鎖不全症や心房細動が表れる疾患で、進行するとうっ血性心不全を起こします。
いったん心不全を起こすと、さらに心臓の筋肉が弱まってしまう悪循環に陥るので、僧帽弁閉鎖不全症や心房細動といった症状が表れた段階で治療して、心臓の筋肉がさらに弱っていくのを食い止めます。
治療のタイミングを逃してしまうと、心不全と心筋が弱まる負のサイクルを繰り返すケースが多くなるので、治療を始める時期が重要になります。
かつては、拡張型心筋症に対する決定的な外科治療になり得るのではないかと期待され、「バチスタ手術」(左室部分切除術)と呼ばれる手術が行われていました。90年代にブラジル人医師のランダス・バチスタ博士が考案した術式で、何度も小説、ドラマ、映画の題材になっているので、耳にしたことがある人も多いでしょう。
拡張型心筋症は、とくに左心室の筋肉が収縮する働きが低下し、左心室が大きくなることでさまざまなトラブルを引き起こします。それならば、大きくなった左心室の壁の一部を切り取り、縫い縮めて左心室の直径を短くすれば、収縮が元に戻るのではないか。そうした発想から考案されたのがバチスタ手術です。
一時期はアメリカをはじめ日本でも症例が重ねられ、症状によっては一定の効果が得られると脚光を浴びました。しかし、アメリカの主要施設で術後の再発や死亡を指摘され、同国の慢性心不全ガイドラインでも、「有益ではないまたは有害であり、適応でないことで意見が一致している」と推奨されていません。いまは日本も含めてほとんど行われていないのが現状です。
そもそも、バチスタ手術は難易度が非常に高いといえます。心筋梗塞を発症して心臓の一部が硬くなった場合であれば、その部分にメスを入れても出血はしません。しかし、バチスタ手術は動いている心臓の筋肉の一部を切り取って縫い合わせます。正常な筋肉にメスを入れるわけですから、栄養血管である冠動脈を損傷することで縫合部の止血に苦労したり、そこが原因となって術後の危険な不整脈を誘発することがあります。それだけに、術中術後にトラブルを起こす可能性が高くなるのです。
■それでも拡張型心筋症の治療は進歩している
術後の一時期は左心室の収縮が改善されるものの再び悪化するケースが多く、バチスタ博士が始めた頃は4割くらいの患者さんが術中術後に死亡しています。日本での症例を見ても、本来はバチスタ手術が必要ではない状態だった患者さんを除けば、ほぼ全員が手術後3年もせずに亡くなっています。私も2人ほどバチスタ手術を経験しましたが、どちらの患者さんも術後1年半ほどで亡くしてしまいました。
心臓移植しか残された道がない患者さんにとって最後の希望ともなり得るドラマチックな術式なので話題になりましたが、拡張型心筋症を完治させるような決定的な治療ではなかったということです。あくまでも、心臓移植までの“つなぎ”としての延命治療だといえるでしょう。
ただ、こうした歴史の中で、新たな治療法も進歩しています。薬物治療がそのひとつです。心臓の働きを弱めて血圧を下げるβ遮断薬を使って、拡張型心筋症の症状をコントロールできるケースがあることがわかってきました。
これまで、心臓の働きが悪い患者さんに対しては、「心臓の働きを抑制する治療薬を用いることはよろしくない」といわれていました。
しかし、β遮断薬を使って心臓の働きを弱めることによって、左心室の張り具合を改善できることが認められました。血圧が下がって僧帽弁の逆流も減らせる副次効果もあります。
拡張型心筋症はいまも研究が続けられ、治療法も日進月歩で発展しているのです。
天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」