がんと向き合い生きていく

93歳のおばあさんが治療した分だけ長く生きた意味

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 38歳の孫娘とその夫、ひ孫にあたる小学校1年生のT君と一緒に暮らしている93歳のおばあさんがいます。孫娘は近所のスーパーで働き、夫は単身赴任中で月1回だけ家に戻ってきます。

 おばあさんは、午前中は縁側で日なたぼっこをしながらうつらうつらして、午後にT君が学校から帰ってくると、2人でお菓子を分け合って食べながら、夕方まで過ごします。近所にはT君と同年代の子供がいないこともあって、おばあさんはずっとT君と一緒でした。

 T君はおばあさんのことを「おーばっぱ」と呼んでいます。2年ほど前から、おばあさんはお金の計算ができなくなっていました。算数の宿題があるときなど、T君は「おーばっぱは足し算ができない」なんて少しバカにしたような言い方をするので、お母さんによく叱られていました。

 6月のある日、X線検診を受けたおばあさんの肺に影が見つかりました。病院で「肺がん」だと告げられましたが、おばあさんはよく理解できていない様子でした。高齢なこともあって手術はできないため、これ以上は検査もしない、治療もしないことになりました。

 9月に入った頃、おばあさんは急にふらついて歩けなくなり、箸を持つ指の動きもおかしくなりました。病院を受診すると、頭部CT検査で脳にがんの転移が多数見つかり、そのまま入院となりました。担当医からは「何もできないので、このまま様子を見ます」と言われましたが、2日後に「薬は飲めるようですし、もしかして効くかもしれないので1カ月だけでも試してみましょう」と提案がありました。孫娘は同意して、おばあさんは分子標的薬を内服することになったのです。

 その薬は担当医も驚くほど効果がありました。起き上がることもできなかったおばあさんがひとりで食事を取れるようになり、トイレにも歩いて行けるようになりました。そして1カ月後には、退院できるくらいまで回復したのです。自宅に帰ったおばあさんは、またいつもの暮らしに戻りました。午後はT君と2人きり、「おーばっぱは引き算ができない」なんて言われながら、同じような日々を過ごしました。

■「あのまま亡くなった方が幸せだった」と言われて…

 おばあさんに再び異変が起こったのは、翌年の5月のある夜でした。急に全身の痙攣を起こし、救急車で病院に搬送されました。担当医からは「これまでの内服治療が効かなくなり、脳の転移が増えたために痙攣が起こった」と説明されました。がんの治療は行わず、抗痙攣剤などの点滴や酸素吸入などで様子をみることになったのです。

 数日たってもおばあさんは意識がない状態で、小さい痙攣を繰り返しています。心配した孫娘が病室を訪れていたとき、驚くことがありました。中年の女性清掃員の独り言のようなつぶやきが聞こえてきたのです。

「前に入院したときに薬で治療されたから、今こうして苦しんでいるのよね。ほら、前よりも苦しそう。あの時、治療しないであのまま死なせてあげればよかったのに……。お金もかかるし、みんな大変でしょう。かわいそうに、こんなにしてまで生かされて……」

 孫娘は、「え!? そんな言われ方をするの?」と心の中で思いながら、黙っていたといいます。ただ、その言葉が強烈に頭に残ったそうです。

 孫娘は悩みました。

「おーばっぱは治療せずに亡くなった方がよかったのだろうか。本当にその方が幸せだったのか。意識がない状態の今の方が本当に苦しいのだろうか。考えることもできず、何にもできないおーばっぱが、治療した分だけ長く生きた意味はなかったのか……」

 その2日後、お母さんが病院から帰ってくるのを家でひとり待っていたT君から、こんな言葉をかけられました。

「おーばっぱ、どうだった? 元気になって、また遊べるようになるよね。絶対に良くなるよね」 孫娘は、何か急に助けられたような、吹っ切れたような気がしたといいます。おばあさんが戻ってくるのを心待ちにしているT君の言葉に、「治療して長く生きた分、おーばっぱと息子が一緒に過ごしたかけがえのない時間も延ばすことができた。やっぱり、治療して長く生きて良かったんだ」と思えたのです。

 さらに、時々、小さく痙攣が続くおばあさんの姿を見て、あらためて強く感じたといいます。

「おーばっぱの命は生きようとしているんだ」

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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