独白 愉快な“病人”たち

40代で難病に さかもと未明さんを救った名ホテルでの半年

「小さい頃から運動会や遠足が苦痛だった」とさかもと未明さん(C)日刊ゲンダイ

 その後も薬でだましだまし仕事を続けましたが、それまで「元気で明るい未明さん」で売っていただけに、難病を公表すると一気に仕事がなくなりました。特に11年前後は不倫報道や個人的な言動が批判を浴びてしまい、体調も悪化の一途をたどりました。一番ひどい時は、障害者手帳の等級が2級でした。

■半年間の椿山荘生活と夫のおかげで少し回復

 そんな私を見かねて、「君を助けたい」と言ってくれたのが今の夫です。その頃はもう寝たきりに近い状態だったので「最後に一番憧れているホテルで暮らしたい」と思い、貯金をはたいて椿山荘で暮らすことにしたのです。約半年間、この上なく美しい場所で心尽くしの接客を受けながら、「なぜ、こうなってしまったんだろう」としみじみ半生を振り返りました。

 発端は「親に認められたい」という気持ちでした。体が弱くて学校からも会社からもはみ出してしまい、家を出た揚げ句に夫も振り捨て、子供も怖くて持てなかった。そのマイナスを埋め合わせるために「うんと成功しなければいけない」と思い頑張ってきた。でも、それは「両親を見返したい」という恨みから出たもので、愛がなかったことにやっと気づいたのです。病気はそれを教えてくれました。これから人の気持ちに届くような愛のある仕事をしていくために必要な試練だったのかなと思います。

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