肺がんが発覚したRさん(58歳・男性)は、1回目の抗がん剤治療が効かず、医師から「もしかしたら3カ月の命かもしれません」と告げられました。日頃から「いつ、死がやって来ても悔いはない」と覚悟を決めていたはずなのに、いざ「3カ月」という数字を聞くと動揺しました。そして、心落ち着かないまま別の抗がん剤に替えての外来治療が始まったのです。
Rさんは、注射をしてくれる医師から「きっと効く」と言葉をかけられたことがとてもうれしかったといいます。たとえ、抗がん剤が効かなくてもその医師を責める気持ちはまったくなく、感謝の気持ちでいっぱいでした。
抗がん剤が替わって2週間が経過した頃から、咳が減ってきました。ところが、3週目に入って下痢と口内炎が表れ、その後、39度の発熱があったため、緊急入院することになりました。すぐに解熱しましたが、抗がん剤の副作用で白血球数が減っており、結局、7日間の入院が必要になりました。それでも、担当医から「肺の影は良くなっている、今度の抗がん剤は効いている」と言われ、ホッとしたそうです。
Rさんが入院した病室は4人部屋で、全員が肺がんの男性患者でした。隣のベッドのFさんは30代の独身で、トイレに行くときも酸素吸入が欠かせず、緩和ケア病棟(ホスピス)が空くのを待っているとのことでした。
向かい側のMさんは50代で、標準治療が効かなくなり、新しい抗がん剤の治験を受けることになった方でした。入り口付近のKさんは70代で、再発した肺の再手術が決まり、外科転科を待っているといいます。
普段は間仕切りのカーテンを閉めたままで、ほとんど会話することもありません。しかし、食事の時は4人ともカーテンを開けて雑談しました。いまの日本の政治について、アメリカの大統領について、野球のこと、相撲のこと……話題は多岐に及びました。
一番若いFさんは、最も深刻な病状でしたが、医師や看護師のあだ名をつけるのが上手でした。「A先生、あれは『老人パンダ』ですね」「E看護師は『ウルトラウーマン』かな?」……そんな軽いジョークで病室の雰囲気が明るくなりました。ただ、一度だけこんな場面を目撃したそうです。母親が見舞いに来た時、面談室からFさんが真っ赤な目にハンカチをあてながら戻ってきたのです。みんな気づいていましたが、黙ったままだったといいます。
みな、本心ではどう思っているのかは分かりません。しかし、その時以外は不思議に暗い表情は見られず、先行きの悪い話はほとんどしませんでした。
■来春までもたないかもという患者が…
Rさんは、入院する際に持参したポータブルCDプレーヤーとイヤホンで、禅学者・鈴木大拙の講演集をよく聴いていました。
「川柳に『いつまでも 生きている気の 顔ばかり』というのがあります。かわいそうに、あした死ぬかも知れないのに……と思って作ったものと思いますが、いや、私はそれでいいのだと思う。いつまでも生きている気の顔ばかり、それでいいのだ」
そんな言葉が印象的だったといいます。
入院で白血球数が回復したRさんは、同室の3人の患者さんたちよりも先に退院することになりました。
「このまま家に帰れないかもしれないと思ったのに、本当によかった。それにしても、同室のみんなも大変だな。よく、じっと我慢してベッドに寝ていられるものだ。でも、そうするしかないものな。やっぱり、覚悟ができているのだろうか」
ただ、Rさんには3人とももう死が近いような顔にはとても見えなかったといいます。
Rさんの治療は3週間中断しましたが、外来で再開され、その後のCT検査では前回と比べて素人目にもがんが小さくなっているのが分かりました。いつの間にか切羽詰まった心の緊張感も消え、1年の命、3カ月の命、死の覚悟……といったことはあまり考えなくなっていました。
Rさんは、同室だった70代のKさんが「自分は来春までもたないかもしれない」と言いながら「春にはリンゴの木を植えるんだ」と言っていたことを思い出すそうです。
「来年の春、孫は小学校に入学する。なんとしても生きなきゃ。いつまでも生きている気の顔ばかり。人間はそれでいいんだ」
そう思えるようになりました。
がんと向き合い生きていく