末期がんからの生還者たち

精巣がん<3> 転移がん手術後2カ月で間質性肺炎を発症

大久保淳一さん(提供写真)
大久保淳一さん(提供写真)

 乾いたカラ咳が止まらず、常に息苦しい。2007年11月、東京・港区に住む大久保淳一さん(当時42歳=写真)は、「東京慈恵会医科大学・呼吸器科」(港区)を再び訪ねた。

 半年前、同病院で「精巣がん」の手術を受け、2カ月前には転移していた後腹膜のリンパ節を除去するという大手術を行ったばかりである。

 胸部、胸部CT、呼吸機能検査などの精密検査の結果、抗がん剤治療中に発症していた「間質性肺炎」の急性増悪と診断された。肺には肺胞というブドウ房状の小さな袋がたくさん集まっており、酸素を取り入れている。

 間質性肺炎とは、その肺胞の壁に炎症や損傷が起こり、壁が厚く硬く(線維化)なり、酸素を取り込めなくなる重い病気だ。

 病因の6割は不明とされるが、大久保さんの場合は、がんの化学療法(抗がん剤)による副作用が原因だった。それが急速に増悪していた。

 炎症が止まらず、大久保さんは、「肺の機能が51%まで落ちていました。これが50%を切ると生命が危険と言われた」という。がんと併せると5年生存率が20%に落ちる。

 担当医は内科治療を選択した。点滴で1日に1000ミリグラムのステロイドを挿入するという「大量パルス治療」が続けられた。さらに、点滴で免疫抑制剤も投与され、ようやく肺胞の炎症拡大が止まる。

 この間、約1カ月間の入院治療。がんの治療でこの1年間に6回の入退院を繰り返し、最長15時間の手術にも耐えた。生死をさまよう大久保さんを生還させた担当医、看護師チームの渾身の医療努力もある。

 家族に迎えられて退院するとき、入院病棟の玄関先まで、医師や看護師たちが総出で見送ってくれた。

 このとき、大久保さんの背中に投げかけられた医師の一言が忘れられないという。

「大久保さん、もうここ(病院)に戻ってきてはダメだよ!」

 退院後、自宅で半年間静養し、その後、勤務先の「ゴールドマン・サックス社」にも復職し、2009年10月、通院で行われていた治療のすべてが終了した。

 病気前に打ち込んでいたマラソンに復帰するためにウオーキングをスタート。11年10月、諏訪湖マラソン(ハーフ)完走。12年4月には「かすみがうらマラソン」(42・195キロ)に参加し、13年6月には北海道「サロマ湖100キロマラソン」も完走した。

 年に2回、病院で定期的な検診を受けているが、原発の精巣がんの手術から今年でちょうど10年。5年生存率を2度もクリアした。

関連記事