天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

日本で研修を受けている外国人医師は母国の「これからの医療」を支える人材になる

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 順天堂医院では、外国人医師の研修を数多く受け入れています。近年、日本で進んでいる医療の国際化がさらに加速するためのきっかけになればいいという意図もありますが、日本で臨床を学んだ外国人医師たちが母国に帰ってから、その地域の医療を支えて発展の中心になって欲しいという思いがあります。

 大学全体で150人ほどの外国人医師や医学生が在籍しています。出身国はさまざまですが、アジア地域から来ている人たちが多く、中でも多いのは中国です。アジア各国は、一部の都市部を除くとまだまだ医療が遅れている地域が多いといえます。そのため、いまの日本で標準的に行われている医療を学べば、彼らの母国にとっての“これから先の医療”として十分に通用します。

 疾患についても同様です。日本が経済的に裕福になったことで広がってきた高齢化や生活習慣病が大きな原因になっている疾患は、彼らの母国ではまだそこまで増えていません。日本と比較すると、そうした社会的な環境は30~40年くらい遅れている印象です。しかし、近い将来、より経済発展を遂げて生活環境が向上して高齢化が進んでいけば、いずれ日本と同じようなパターンになる可能性もあります。

 そうなったとき、いまの日本で学んだ医療が役に立つのです。

 外国人医師の多くは、母国の大学の医学部を卒業してから日本に研修を受けに来ています。自国で医師免許取得後に臨床経験を積んでから来る人もいます。そのほとんどは、自国に設備がないために大学院で研究したり、高いレベルの臨床を学んだりして医学博士を取得するために来ているといえます。

 受け入れ人数の枠は設けておらず、来るものは拒まずという方針です。中には、母国の大学の医学部を卒業してから日本の医師国家試験に合格して当院で研修を受けている外国人医師もいますが、ほとんどはクチコミでやってきます。かつて当院で研修を受けて母国に戻った医師から紹介されてくるパターンです。

 もちろん、日本語はしっかり話せます。N1~N5の段階がある日本語能力試験で、「日常的な場面で使われる日本語をある程度理解することができる」レベルのN3を受け入れの基準にしているからです。

 研修の期間は長い場合で5年、短い場合は1年ほどで帰国します。母国から学費などの援助を受けて来ている場合はひとまず1年で帰ったあと、再び来日して1年……といったサイクルを繰り返す勤勉な医師もいます。

 先ほども言いましたが、日本の医師国家試験はハードルが高いので、日本に残って医師免許を取得してそのまま日本で医師になるケースはほぼありません。

 つまり、いずれは帰国して母国で医師になるわけです。

「日本で研修を受けた」「日本で博士号を取得した」といった経歴があれば、それだけで学術的な評価が高まるばかりか、信用度が格段に上がるという国がたくさんあるのも事実です。

 ただ、もちろん彼らがそれだけを目的にしているわけではありません。日本まで研修を受けにくる外国人医師は、いずれ日本と同じような疾患や患者が多くなるだろうという“空気”を読むことができている人材ばかりです。

 日本の医療の環境や安全性について技術と知識を身に付けて帰国すれば、あとは独学で十分に通用する医療を実践できるケースが多く、それがその国の医療の発展につながると考えているのです。

 外国人といえども、日本人研修医と大きな違いはありません。指導医や上級医が同席して監督していれば、ある程度の医療行為を行うことができます。手術の執刀は難しいですが、助手であれば問題ありません。わざわざ日本まで研修にやってくるくらいですから、外国人医師の多くはヤル気があり、優秀な人材も少なくありません。日本人研修医とともに切磋琢磨して、今後の医療を発展させていって欲しいと願っています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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