末期がんからの生還者たち

精巣がん<4>外資系証券会社を辞めてNPO法人を立ち上げた

大久保淳一さん(提供写真)
大久保淳一さん(提供写真)

 2007年2月、「東京慈恵会医科大学・泌尿器科」に入院し、「精巣がん」を全摘出した大久保淳一さん(53歳、東京・港区)のがん治療は、これだけでは終わらなかった。6カ月後には転移していた後腹膜のリンパ節除去。強い抗がん剤の副作用で死ぬほど苦しみ、さらにがん治療中に抗がん剤の合併症で肺の一部機能を失う「間質性肺炎・急性増悪」の内科治療も加わった。深海に沈み、もはや浮き上がれないほどの孤独感を味わう。

「10カ月間、入退院を繰り返しながら、がん患者の支えは『将来への希望』『孤独感からの癒やし』『有益ながん情報』という3点ではないかと思いました」

 こう語る大久保さんは、自らのがん体験を社会に生かせないかと試行錯誤する。

 がん治療が完全に終了してから7年後の2014年、15年間勤務していたゴールドマン・サックス社を円満退社。がんの5年生存率を重視し、NPO法人「5years」(ファイブイヤーズ=https://5years.org/)を立ち上げた。がん患者たちとその家族の支援組織である。

■サイトを心の支えに

 2017年、がん患者羅患者数予測は101万4000人、死亡者予測数が37万8000人(国立がん研究センター)である。こうしたがん患者やその家族に「希望、癒やし、情報」を発信したいと熱く語る大久保さんの背中を押したのは、同僚だった。

「ゴールドマンの社員時代、乳がんを告知された同僚女性が『米国では、医師が患者にがん経験者を紹介したり、民間団体がウェブサイト上で患者同士をつなぐサービスをしている』と言うのです」

 その代表例が、米国のがん患者を支援する「ペーシェンツ・ライク・ミー」(私と同じような患者たち)だった。ウェブサイトで患者をつなぐ巨大組織だ。

 日本にもこのような組織を築きたいと考えた大久保さんは、「5years」を基盤にして単独で活動を開始。ホームページなどでがん患者とその家族に呼びかけ、現在では登録者数が4000人に迫る勢いだ。

 ボランティアスタッフの協力も得て、国内では最大級のがん患者支援組織になってきた。シカゴ大学院で経営学修士を取得しており、米国の医学書も原書で読みこなす。大学の医学部研究室に籍を置き、医学の知識も半端ではない。

「別サイト『MillionsLIFE』(ミリオンズライフ)では、がん患者さんの顔写真付き実名で、それぞれの闘病歴、社会復帰に至る経過なども紹介しています」

 新たながん患者たちから、「ありがとう。助かりました!」と届く声が、元がん患者の大久保さんにとって至福の時間になっている。 

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