昨年(2016年)2月、三枝幹弥さん(写真=48歳・山梨・中巨摩郡在住)は、「東京マラソン」に参加した。
42.195キロを6時間余で完走し、ゴール(17年からゴールは東京駅前に変更)は江東区有明の東京ビッグサイトである。
テープを切るとそのまま、近くの「がん研有明病院」(江東区)にまで足を延ばした。汗で湿ったゼッケンを、「中咽頭がん・ステージ4」を執刀してくれた担当医師に手渡すためだ。
「普段、笑顔を見せない先生ですが、この時ばかりはニッコリと笑ってくれましたね」
こう語る三枝さんは、末期の「中咽頭がん」と5年間闘い抜き、5年生存からさらに2年が経過していた。
創業50年を超える貴金属の製造(山梨・甲府市ほか)、販売「㈱オリエント4C’s」(東京・上野)など200人からの社員を有する三枝さんが、副社長(現・社長)時代の2010年9月、体調に異変を感じた。
原因不明の微熱が続いたのである。また、左首を触ると、大きさが小指くらいの不快なリンパ腺の腫れも気になった。
通い慣れた近所の病院で薬をもらい、微熱は下がった。だが首の腫れが治らない。自宅から10分のところにある「山梨大学医学部付属病院・耳鼻科」を訪ねた。
■長男に「パパ、病気なの?」と聞かれ
精密検査を受け、さらに首の腫れの部分に注射器を刺して液体を吸いとり、同時にへんとう付近の細胞を取るという「生検」が行われた。
1週間後、再度病院を訪ねたところ、担当医から、「今日はひとりですか。奥さまは来ていませんか?」と、尋ねられた。
不吉な予感がした。急ぎ自宅にいた妻を呼び出し、あらためて担当医の前に着席すると「中咽頭がんです」と、告知された。40代の若さで、会社の副社長を務め、職務はネコの手を借りたいほどの忙しさ。
三枝さんは、「正直、困ってしまいました。でも、がんは切除したら治ると思ったのです。ところが自宅に帰ってネットで自分のがんを検索して、初めてことの重大さに気がついたのです」と語る。
同病院から「がん研有明病院」を紹介され、再び精密検査を受診した。やはり「中咽頭がん・進行ステージ4」と診断される。
後がない末期がん。妻、父らが集まり家族会議を開いた。会社の運営をどうするか。
子どもは(当時)7歳、5歳、3歳の3人。写真館を訪ね、家族で七五三の記念写真を撮ったとき、長男から、「パパ、病気なの? 死んじゃうの?」と聞かれた。
「そのとき初めて死を考えました」(三枝さん)
末期がんからの生還者たち