末期がんからの生還者たち

中咽頭がん<3>大震災で手術延期も 強烈に励まされたこと

三枝幹弥さん
三枝幹弥さん(提供写真)

「中咽頭がん・ステージ4」と告知された三枝幹弥さん(48歳=山梨・中巨摩郡在)は、2010年10月「がん研有明病院(東京・江東区)に入院。3カ月間に及ぶ「化学療法併用放射線治療」(CCRT)を受けた。

 年を越えて翌年の1月に退院したとき、担当医師から「治療の評価は2月にお知らせします」と言われた。「その間、被告人が審判を待つような心境でしたね」と、三枝さんはため息を漏らす。

 自宅で静養し、家中を走り回る3人の子供たちを相手にしながらも、鉛をのみこんだように気が重い。再発したらどうしよう……転移していないか……。不安感で、なかなか寝付けない。手にしたのは、キリスト教、仏教、原始仏教といった多くの宗教関連の本で、読むと、弱っている自分の心が救われたという。

 2月7日、治療の評価を聞くために山梨県からひとりで上京してがん研有明病院を訪ね、担当医から告げられた。

「画像を見る限りは、頚部リンパ腺にがん細胞が残っているかいないか五分五分です。手術はリスクを伴いますが、手術して組織を取ってみましょう」

 42歳の誕生日を迎えたばかりの当時の三枝さんは、その時の気持ちを「がん治療の節目となる5年生存を超える47歳まで生きられるかなと不安に思いました」と語る。

 手術のリスクについて、担当医の説明が続いた。

「腫瘍が神経に近かった場合、顔面神経、舌下神経、副神経などいくつかの神経機能を失うことになります」

 三枝さんはリスクを了承し、手術日を3月17日と決めた。ところが、予期せぬアクシデントが起こる。3月11日の東日本大震災である。病院施設の機能が支障を来し、手術日が延期されたのだ。結局、22日に入院し、手術は翌日の23日に変更される。

「大事な手術日が延期されるなんて、私はもうダメなのかと落ち込みましたね。その一方、テレビで1000年に1度というあの大津波を目にして、“こんな試練に遭いながらも生きている人もたくさんいる”と感じ、強烈な励ましになりました」

 5時間に及ぶ手術を受けて麻酔から覚めると、看護師から「三枝さん、手術は成功しましたよ」と告げられた。

 10日間入院し、退院時には担当医から「手術の結果は6月ごろにお知らせします」と言われた。これまでの総医療費は約250万円。ただ、がん保険にも入っており、個人負担はほぼゼロだった。

 三枝さんの自宅近くには荒川が流れている。毎日、その土手をゆっくり歩いた。手術による検査結果が出る6月まで、少しでも体調の回復を図ろうとしたのである。

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