末期がんからの生還者たち

慢性骨髄性白血病<2>「私の人生は38歳で終わったなと…」

久田邦博さん
久田邦博さん(提供写真)

 2001年8月、神奈川県横浜市内の総合病院で、「慢性骨髄性白血病」と告知された久田邦博さん(54歳=愛知県名古屋市在)は、17年が経った現在も抗がん剤治療を継続している。

 気が遠くなるような長い治療だ。大手薬品メーカーに勤務し、薬剤師でもある久田さんは医学に精通し、「慢性骨髄性白血病」がどのような病気かを熟知している。

 この病気を背負ったとき「頭の中が真っ白になり、私の人生は38歳で終わったなと思いましたね。残りの人生は消化試合のように感じられ、寿命が燃え尽きる日を待ちながら生きるという思いでした」。

 こう語る久田さんには、10歳の長男を頭に、4人の育ち盛りの子どもがいた。せめて長男が成人式を迎えるまで生きたいと、血液がんと告知された翌日から、徹底して関連情報を集めた。

「慢性骨髄性白血病」は、3~5年で他界するという情報にショックを受け、治療法には大きく「骨髄移植」と、化学療法の「インターフェロン」(抗がん剤)があることも知る。この2つの5年生存率が、「ちょうど5年目でクロスしていることが分かりました。『骨髄移植』はそのまま横に伸びていきますが、『インターフェロン』は、5年目以降も下降線をたどっていきます」

 本心は治癒して元に戻りたいと思っていたが、子どもたちの人生を優先すると10年間生きられる可能性が高い方法を選ぶことにし、医師と相談した結果、久田さんは「インターフェロン」を選択した。

 9月3日に入院し、腹の上から注射器で毎日、「インターフェロン」を注入した。副作用で高熱やだるさに悩まされたが、2週間で退院。1週間、自宅で静養した後、職場に復帰した。

■1本1万円の注射を7カ月間で210本打つ

 医師の指示に従って毎朝、自分で腹に「インターフェロン」を打つ。それを7カ月間続け、「いつも二日酔いになっているようなだるさ」だったが、もうひとつ不安があった。高価な薬品代の支払いである。

 1本1万円。7カ月間で210本打ち、1カ月間の支払いが約10万円(3割負担)になった。そのうち、通院間隔は2週間に1回、やがて1カ月に1回と回数を減らす。

「この時期に私は、横浜から名古屋支店に戻りました。病気を思うと憂鬱になりますから、新しい研修の仕事に没頭したのです」

 その前年に薬品メーカーの大手「ノバルティス」(スイス)が「慢性骨髄性白血病」に効果がある新薬「グリベック」を発売していた。久田さんはこの新薬に期待する。

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