末期がんからの生還者たち

慢性骨髄性白血病<4>「がんと一緒に生きていこうと決めました」

久田邦博さん
久田邦博さん(C)日刊ゲンダイ

「6500万円」――。愛知県名古屋市に住む久田邦博さん(54)が、2001年8月に「慢性骨髄性白血病」と告知されてから、今日までの医療費の総額である。

 内訳は主に2つの病院を訪ねた精密検査代、神奈川県横浜市内の総合病院での入院費用、治療薬「インターフェロン」、現在も続いている経口薬「グリベック」の代金などである。

 大学卒業後、大手医薬品メーカーに勤務し、薬剤師の資格を持つ久田さんは、自分が背負った重い病気がどのような治療になるかを熟知していた。

「ですから告知されたとき、まず頭に浮かんだのは高額な治療費のことでした。私のサラリーで払えるかなと。もし会社をクビになったらそれこそアウトになります。そうなれば、どうやって私の治療費を捻出し、そのうえ6人の家族を守っていけるか……。考えると落ち込みましたね」

 幸い、会社が理解を示してくれた。そのことにホッとする。治療費の支払いは3割負担で、ほかは高額療養費制度の活用、健康保険組合の補助制度、それに2つのがん保険と契約を結んでいたこともあり、年間の個人負担は12万円の支払いで済んでいる。

「もうね、くよくよしている間に寿命が来てしまう。もともとがん細胞は自分の細胞だから、ずっと一緒に生きていけばいいと考えると気持ちが楽になりました」

 がんを告知された後、MR(医薬情報担当者)から「社内研修担当」に異動となる。これが久田さんの生き方を大きく変えることになった。

「この時代に生きていた証しを弊社の新人社員たちに残しておこうと思ったのです。自分も勉強を重ね、全力をかけて多くの社員から待ち望まれるような研修にしたいとね」

■死を恐れる暇がないほど仕事に打ち込んだ

 MR時代、久田さんは多くの病院、保険薬局、大学、企業、行政などを訪ねていたことから、太いパイプを持っていた。そうした知人たちが久田さんの研修内容を聞きつけて、講演依頼が増えていった。会社の職務をこなしながらの講演である。もう、死を恐れている暇などなくなった。

 2010年から母校の名城大学薬学部、13年から三重大学医学部の非常勤講師も務める。

 勢いに乗って久田さんは、薬剤師学習グループ「しゃち薬」を主宰する。異職種の薬剤師が集まり、定期的に薬剤師の在り方について侃々諤々の議論を行う。

 がん患者会のスピーカーとして招かれたときは、こんなジョークも飛ばす。

「私の講演中に、寝てもいいですよ。でも、永眠しないで目を覚ましてくださいね」

 会場は笑いの渦となる。がん患者同士ならではの笑いである。

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