独白 愉快な“病人”たち

中1でギラン・バレー症候群 美馬寛子さんは陸上に救われた

中学1年生のときに自宅で倒れ「ギラン・バレー症候群」と診断された/(C)日刊ゲンダイ

 菌の数値が下がると比例して症状もなくなり、1カ月で退院。その後1カ月の自宅療養を経て、学校に復帰しました。でも、医師からは「運動はダメ」と言われ、体育の授業は見学。大好きなバスケットボール部の活動も見学するだけになりました。人とぶつかって転ぶことが非常に多いスポーツだからです。

 救われたのは、「君が何もスポーツをしないのはもったいない」と、走り高跳びをすすめてくれた先生がいたことです。両親も、私からスポーツを取ったら何も残らないと思っていたようで賛成してくれました。

 中学2年から始めた走り高跳びは、中学3年で全国大会に出場できる成績を収め、それがきっかけで高校の推薦が決まり、陸上のおかげで東京の大学にも進学できました。もし、東京に出てきていなかったらモデルという仕事とも無縁でした。そう思うと、病気が私の人生の第一のターニングポイントだったといえます。

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