末期がんからの生還者たち

卵巣がん<2>広島で被爆した父は胃がんで死亡

大塚美絵子さん
大塚美絵子さん(提供写真)
「いますぐ病院に行きなさい!」

 日本でも指折りの監査法人会社に勤務していた大塚美絵子さん(埼玉県さいたま市在)は、2012年3月、51歳のときに体調に異変を感じた。

 体重は46キロを維持していたが、30年間同じサイズだったスカートがきつく感じられるようになった。

「年齢からして中年太りかなと、深刻には受け止めていませんでした」

 実際、運動しても以前のように痩せなかったが、5月末までは見た目の変化はなかった。

 ところが、6月に入ると急激に腹部が膨らんだ。3週間で臨月を思わせるほどの大きさになった。同時に寝汗を大量にかき、胃の調子も悪い。疲れやすくもなっていた。

 それでも仕事が多忙を言い訳にして病院の診察を避けたという。

 見かねた母がついに大声を上げた。

「どう見ても普通じゃない。いますぐに病院に行きなさい!」

 ついに大塚さんは週末を利用し近所の内科クリニックを訪ねた。

 診察室で大塚さんの膨れた腹を見た途端、院長は顔色を変えた。

「とにかくすぐに大きな病院で診察を受けなさい。いますぐにですよ!」

 ここで初めて大塚さんは、症状の重大さを察知した。と同時に「やっぱり」とも感じたという。

 大塚さんの父親は広島で被爆。1985年に胃がんで亡くなった。大塚さんは被爆2世だった。

「私が24歳のときに父を亡くしました。生前、父から被爆障害について聞いておりまして、いつか私もがんになるかもしれないと、心のどこかで思っていたのです」

 週明けに、それまで2年ほど胃腸の不具合を相談していた「東京大学医科学研究所付属病院」(港区)の内科医を訪ねた。後で聞くとその内科医は「これまでの経緯と医師としての経験から消化器以外のがんではないか」と直感したそうで、血液検査、尿検査、MRI、CTなど検査を徹底的に行った。1週間後、検査結果を聞きに、妹と一緒に訪ね、事実を聞かされた。

「50代の担当医師は、『がん』という言葉は使いませんでした。ただ、遠まわしに説明しながら、『悪性の可能性があります』と言うのです。それはまるで死刑判決のときに主文を後回しにして、理由を延々と聞かされているかのようでした」

 しかし、それは想定内だったという。大塚さんは、骨盤の写真を撮られたときに、「卵巣がん」を強く疑い、事前にネットで自分の症状を調べていたからだ。

 ただ同病院には婦人科がない。今後の治療を見据えて新たに「国際医療福祉大学三田病院」(港区)を紹介された。

 東大病院からもらった検査データ(CD)を携帯し、婦人科腫瘍の専門医の診察を受けるとすぐに病名が告げられた。

「これは『卵巣がん』に間違いないと思います。でもデータを見ますと、腫瘍が大きすぎますので、すぐに手術はできません。抗がん剤治療で腫瘍を小さくしてから手術をしましょう」

 こうして大塚さんの1年にわたる「卵巣がん」治療がスタートしたという。

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