末期がんからの生還者たち

卵巣がん<2>広島で被爆した父は胃がんで死亡

大塚美絵子さん(提供写真)

「50代の担当医師は、『がん』という言葉は使いませんでした。ただ、遠まわしに説明しながら、『悪性の可能性があります』と言うのです。それはまるで死刑判決のときに主文を後回しにして、理由を延々と聞かされているかのようでした」

 しかし、それは想定内だったという。大塚さんは、骨盤の写真を撮られたときに、「卵巣がん」を強く疑い、事前にネットで自分の症状を調べていたからだ。

 ただ同病院には婦人科がない。今後の治療を見据えて新たに「国際医療福祉大学三田病院」(港区)を紹介された。

 東大病院からもらった検査データ(CD)を携帯し、婦人科腫瘍の専門医の診察を受けるとすぐに病名が告げられた。

「これは『卵巣がん』に間違いないと思います。でもデータを見ますと、腫瘍が大きすぎますので、すぐに手術はできません。抗がん剤治療で腫瘍を小さくしてから手術をしましょう」

 こうして大塚さんの1年にわたる「卵巣がん」治療がスタートしたという。

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