車が好きだし、仕事も忙しいから、50年間ぐらいほとんど歩かない生活だった。ジムなんか行かないし、体なんて鍛えない。皇居の周りを走ってゼイゼイ言っているオジサンを見ると、呼び止めて「体に悪いからやめた方がいいよ」って言いたくなる(笑い)。
そのくらい何もしなかったんだけど、心臓の弁の置換手術をしてからは週3回はジムに通っている。体が柔らかくなるし、筋肉もつくし、この年だから成果が如実で、体を鍛えるって大事だなと思った(笑い)。
心臓の弁置換術を受けたのは2016年の夏だった。そもそも、その1年前に「労作性狭心症」で手術をしていた。慶応病院でのカテーテル手術で、冠動脈にステント(血管を広げるための金属の網目状の筒)を入れた。その時すでに大動脈弁が少し弱っていることは聞かされていたが、経過観察にとどまっている状態だった。
ステントを留置した後、「少し動いたほうがいいですよ」という医師の助言で、地下鉄にも乗り始めたが、住んでいたのが坂の上のマンションだったから徐々に息苦しさが増していき、しまいには、たった50メートルの距離が苦しい状態に……。「もう、これはやばいな」と再び慶応病院を受診したんだ。
■手術のため心肺を一時的に停止
言われていた大動脈弁がいよいよ限界になり、「大動脈弁狭窄症」との診断。心臓の弁が硬くなって開放が制限されてしまう病気で、主な原因は加齢。治療は人工弁に置き換えるもので、「心肺を一時的に停止させて行う開胸手術」とのことだった。
「楽じゃないな」とは思ったが、事の次第がはっきりしていればゴチャゴチャ言わずに前に進むのがオレの性分。ただし、弁は25年の耐久性があるといわれるカーボン製がベストだと思えた。一般的な生体弁(牛の心膜や豚の心臓弁)は長くて15年ぐらいしかもたないらしい。まだやりたいことがたくさんあるオレにとっては、25年でも足りないくらいだけどね。
執刀医は、循環器専門の榊原記念病院の高梨秀一郎先生でした。その世界ではトップクラスの医師で、その先生を慶応病院が呼んでくれたんだ。
手術への不安や、死ぬかもしれないという恐れはなかったな。それよりも「オレの体は今どうなっているんだろう」「手術でどんなことをするんだろう」という興味の方がいつも先に立つんだ。医療がどこまで進んでいるのかという情報は、今の時代いくらでも調べられるだろう? 「米国の5大病院だったらどんな手術をするのか」って、そういうことを調べたくなる。
オレは“勢いの人”でもあるけど(笑い)、こと病気に関しても徹底して「前向き」。そしてその裏付けは常に持っている。やっぱり、人がやらないことをやるからにはそれなりのリスクを背負うから、そのための考えがないとダメなんだよ。だから、病院のことも、医師の実績もちゃんと調べるよ。当然のことだね。
それに、ひとこと言いたいのは医師との関係だ。インフォームドコンセントもたしかに重要だが、医師にも人故の個性や能力がある。基本、医師という職能でしかないわけだから敬意を払うのは当然としても、畏敬することは必要なく、対等の人間関係をもって対しなさいということ。そして、自身の病んだ状況をトコトン理解できるまで話すことだね。下手な遠慮は死を招くよ。
■「病気も生きていることそのものだ」と捉える
40歳から年1回、人間ドックを受けているのも裏付けのひとつ。定期的に調べているから、時に病気が発見される。2009年には「初期の胃がん」が2回見つかり、いずれも内視鏡手術で切除した。翌年には「頚動脈狭窄症」で頚動脈内膜剥離手術を受けた。
病気は捉え方ひとつ。自分にとって病気は「事」でしかない。「不安」とか「迷惑かけるな」といった情緒を持ち込まない。正確な判断がすべてで、「これが事実だ」と線を引く。生きていれば、常に死とは隣り合わせ。怖がってばかりいたんじゃ生きていることにならない。「病気も生きていることそのものだ」という捉え方をする。
「知るのが怖いから健診に行かない」なんて、オレに言わせれば生きていないのと同じ。病気を恐れたり落胆したりするのは、人間として幼いんじゃないかな。ケガも病気もひっくるめて、事実を事実として受け止め、前向きに対処する「プロの人間になれ」と言いたい。
そんなオレが長く苦しめられたのは、実のところ「花粉症」なんだよ。最近、2年間の舌下免疫療法で見事に完治できた。あのツラさは人の営み、つまりは生産性に非常に影響するから、花粉症患者を減らしたら日本経済はもっと活性化するはずだ。国は日常の何が肝心かを知るべし、本当に。
▽かのう・てんめい 1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として脚光を浴び、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など多彩なパフォーマンスでも話題に。現在も、社会に鋭い目を向けた作品を撮り続けている。
独白 愉快な“病人”たち