末期がんからの生還者たち

卵巣がん<4>「生きるための出費がどんどん膨らんで」

大塚美絵子さん
大塚美絵子さん(C)日刊ゲンダイ

 埼玉県さいたま市に住む大塚美絵子さんは、2013年3月(当時52歳)に、ほぼ1年間に及ぶ「卵巣がん・ステージⅢC」の治療(手術、抗がん剤の併用)がすべて終了した。

「退院して半年後、私は頑張った自分へのご褒美として、ドイツ、オーストリア旅行を3週間楽しみました」

 しかし、帰国後に厳しい現実に直面する。ひとつは金銭的な問題だった。大手監査法人に勤務し、年収も700万円に近かった大塚さんの税金や社会保険料の支払いは前年の収入が基準になる。がん治療で退職していた大塚さんは、2013年は無職で収入ゼロ。課せられた大きな税額、社会保険料が負担になった。

 また、腹部に抱えた約30センチの手術痕がうずき、会社員時代に着用していた洋服が着られない。化学繊維は弱っている肌を刺激することから、洋服はオーガニックコットンや絹の物を求めた。これが高価だった。

 さらに、通院や職探しなどで移動するときは、体力に限界を感じていたことからタクシーやグリーン車をよく利用した。こうした「生きるための出費」が、どんどん膨らんでいった。

「職探しで、がんの既往歴や時短勤務の希望を口にすると、まずオファーはありませんでした」

■「がんサバイバーの役にたつことが生きがい」

 これからどのようにして生きていけばいいのか……方向性を失ってしまった。ひとりで部屋に閉じこもり、何日も家族と口を利かず、衝動的に窓ガラスを割ることもあったという。

 2年ほど奈落の底をさまよっていた大塚さんが光明を見いだすのは、小さな勉強会に参加したときの、あるサバイバーの話がきっかけだった。

「物事には必ず両面があります。だから何かを表現するときは、良い面を見つけ出すことです」

 良い面を見つける――。大塚さんは、こうした前向きな話を聞いて気持ちが和らいできたタイミングで、ドイツ旅行時に出合った「医療用ストッキング」を思い出した。医療用ストッキングを必要とする患者の大半が女性である。しかし、今の日本にはこの種の情報が少ない。医療目的なのに、サイズや使用感もないがしろにされてきた。

 大学でドイツ語を専攻していた大塚さんは、得意の英語やドイツ語を駆使して情報を収集。一昨年、東京・八重洲に「医療用ストッキング」の小売会社を立ち上げた。

「今はストッキングを試着してもらい、販売しながら、私の治療経験も話したい。こうしてサバイバーさんの気持ちを上向きにするようなお手伝いができたらいいなと思っています」

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