末期がんからの生還者たち

炎症性乳管がん<1>主人にはひょっとしたら…と伝えておきました

原田祐子さん
原田祐子さん(提供写真)

「歯はガタガタ、爪はグラグラ、頭髪はバサバサと抜け落ちました」

 抗がん剤の副作用を、涙目で語るのは原田祐子さん(51歳)。夫は「原田車両設計㈱」(愛知県みよし市)の社長で、原田さんは取締役兼2児の母親である。

 一昨年3月、胸部に異常を感じた。お風呂で左側の乳房を洗ったとき、乳首を中心に全体的に少し硬い感じがした。張っていて、右側の乳房と比べて、皮膚の色が少しオレンジ色をしていた。

「普通じゃない。なんかおかしいなと思いました。でもこの当時、会社は『ライフプラグ』という中古車に取り付ける外部給電システムを開発したばかり。多忙なキャンペーン中だったのです」

 原田さんは毎年、乳房超音波検査かマンモグラフィーのどちらかを受診しており、異常なしという診断が続いていた。

■告知は「ステージⅢB」

 4月に入った。仕事も忙しかったが、相変わらず左の乳房が硬く、それが広がっているように感じた。

 4月中旬になって、「やっぱり病院に行ってみよう」と、自宅から車で20分ほどのところにある豊田市の総合病院・外科を訪ねた。

 指診など、ある程度の精密検査を受診したが、このとき、担当医は診断を示さなかった。それから1週間後、病院から、「もう少し詳しく診察します。食事はしないで来院してください」と連絡が入った。検査の翌週、主人と同伴で、再度病院を訪ねる。再びCT、MRIなどの精密検査を受け、「炎症性乳管がん、ステージⅢB」と、告知された。

 病院に行く前に原田さんは、インターネットで乳がんを検索した。

「主人には、ひょっとしたら乳がんかもしれないと、伝えておきました」

 覚悟をしていたのか、主人は担当医師の告知を聞いても、あまり驚きを見せなかった。2人の子ども(大学生、高校生)にも伝えたが、「あ、そう」と、軽く受け止めてくれたという。

 乳房は乳汁を作る乳腺と、乳汁を運ぶ乳管、それを支える脂肪から構成されている。

 ほとんどの乳がんは乳管から発生し、「国立がん研究センター」によると、毎年の罹患数は推定で7万例強である。

 30代で増加し、40~50代でピークを迎えてその後は減少していく。

 5年生存率は、しこりが2センチ以下のⅠ期ならほとんどが完治する。原田さんの場合は、すでにリンパ節に転移し、むくみも乳房全体に広がり、赤みがかっている炎症性乳管がんだった。病期は末期に近い「ステージⅢB」で、治療の選択から、手術は外された――。

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