がんと向き合い生きていく

治療を中断したのに「また再開を」と希望する患者もいる

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Cさん(80歳男性)は、独身の息子さん(55歳)と2人で暮らしています。

 2年前、Cさんは右上肺の肺がん手術を受けました。術後の経過は良好でしたが、その後の定期検診で両肺に1センチ程度の小さな転移巣を多数認めました。しかし、まったく症状はなく、CT画像を説明されてもCさんにはその影がよく分かりませんでした。

「転移がきてしまいました。治ることはないと思いますが、幸いCさんのがんは遺伝子変異があって、よく効く内服の薬があります。この薬で命が1年くらいは延びます。治療をしてみましょう」

 担当医に言われるがまま内服治療が始まりました。

 とくに副作用もなく2カ月を経過したところで、Cさんは担当医にこんな相談をしました。

「治療代が高いことにびっくりしました。私は80歳です。1割しか払わなくて済みますが、多くは税金からですよね。最近、医療費がかさんで国は大変だと聞きます。治療してもどうせ治らないのだし、長く生きて世の中に貢献できるわけでもない。私はいま、生きていても何も役に立っていないのです。先生、治療をやめましょう。もしがんで苦しくなったら、その時は苦しまないような処置をお願いします。治療をやめることを息子に話したら、『望むようにしてくれていい』と言ってくれました」

 担当医はCさんの熱心な訴えを聞き入れ、「分かりました。それならやめてみましょう」と治療は中止されました。

 それから4カ月たった晩秋の寒い日でした。定期検診でCT検査が行われた後、担当医の診察となりました。電子カルテで今回のCT画像を見ながらの説明です。

「転移の一つ一つが大きくなっています。一番大きいもので2・5センチくらいでしょうか」

 担当医が示すたくさんの丸い影はCさんにも明らかに分かり、大粒の雪が降っているように見えました。Cさんはしばらく無言でしたが、思い立ったようにこう口にされました。

「先生、治療をまた始めましょう。よく効く薬ならやってみましょう。副作用もなかったし、今日からまた処方をお願いします」

 担当医は、内心で「え? この間は、あんなに熱心に『治療しない』と言われたのに……」と思ったそうですが、結局、治療を再開することになったのです。

■担当医と良好な関係をつくれているから

 その担当医から、私に相談がありました。

「Cさんへの最初の説明が悪かったのでしょうか? 治療を中断したのに、また再開することになりました。反省しています。先生はどう思われますか?」

 私はこう答えました。「おそらく、最初から先生はしっかり説明されたと思います。でも、最初のCT画像は見えないくらいの影でしたし、症状もまったくない状態でした。後から支払う金額を見て、Cさんが治療をやめようと考えたのも無理はないと思います。そして今回の大きくなった影を見て、Cさんが再び治療したいと思ったのもよく理解できます。Cさんは急に死が差し迫ったことで、生きたい気持ちが湧いてきた。それが人間の普通、当たり前のことだと思うのです。Cさんも先生もそれで良いのだと思います」

 私はむしろCさんと担当医との間に「また治療したい」と言える雰囲気があったことは、とても良かったと思いました。いつでも治療を撤回できる。これが、本当のインフォームドコンセントのあり方だからです。担当医との間にそのようなことを話せる空気が持てない患者さんは少なくありません。

 同じような話を聞いたある人から、「恥ずかしくないのかね? 80歳にもなって、『命根性が汚い』(生に対して深い執着心がある)よね」と言われたことがあります。私はそれは違うと思います。まったく恥ずかしくなんかない。それでいいのだと思います。死が差し迫った時は「命根性が汚い」などということはありません。たった一度しかない命なのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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