独白 愉快な“病人”たち

骨肉腫で脚切断の危機 東儀秀樹さん“余命1年”からの現在

25歳のとき、医師が母に自分の“余命”を伝えているのを聞いた(C)日刊ゲンダイ

■脚を残してくれた主治医に感謝

 でも、脚を残してくれたのは、膝の権威といわれる主治医でした。数年してその主治医が亡くなった後に奥さまから聞いた話では、「あのとき主人は、病院の医師全員を敵に回して闘っていました」とのことでした。当時の医療では、あの状況ではなるべく早く脚を切断するのが常識だったのです。残したことで病院の責任を問われることにもなりかねない。だから、その主治医の勇気には本当に感謝しています。

 この膝のがんの他にも、死にかけたことが何度もあります。初めは18歳でのバイク事故。もうひとつは高速道路でトラックに追突された自動車事故。7年前にはバイクで転んで肋骨を7本折りました。

 何度も死のふちから助かると、「それは神様に生かされているのです」と言う人もいるけれど、僕が思うには、こうしたインタビューで語る使命を帯びている気がします。ワクワク細胞のことや、楽しんで生きることのステキさを宣伝するっていうね(笑い)。

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