末期がんからの生還者たち

炎症性乳管がん<3>手術か放射線化学療法か選択を迫られる

原田祐子さん
原田祐子さん(C)日刊ゲンダイ

「なぜ私は『乳がん』などにかかってしまったのでしょうか」――。

 愛知県内に住む原田祐子さん(51歳)は、一昨年5月、同県豊田市の総合病院で「炎症性乳管がん、ステージⅢB」と告知された。それ以来、頭からいつもこの疑問が離れなかった。

 乳首を中心にした悪性腫瘍が長さ10センチほどにも増幅し、腫瘍は局部の左乳房全体に散らばっていた。末期に近い。手術による治療は無理と言われ、「化学療法」でほぼ半年間、3種類の抗がん剤を点滴で打ち続けた。

 脱毛など次から次と波のように押し寄せる過酷な副作用の数々。ベッドに伏せながら関節などの痛みに耐え、何度も枕を濡らした。

 原田さんは、夫が経営する車両などの設計・開発会社の役員を務めるかたわら主婦業をこなし、2児(大学生と高校生)に恵まれた母親でもある。多忙な日々ながらも、順風満帆な人生を送ってきた途上での乳がん告知。なんとしても回復したかった。

■乳がんの危険因子を検索してもヒットせず

 乳がんの10年生存率はステージⅢで五十数%(日本乳癌学会)である。「私がなぜ?」という疑問を解消するため、原田さんはネット検索で多くのがん専門病院が公開している「乳がんの危険因子」について調べてみた。

 母親や姉妹に乳がんの既往歴がある。妊娠の経験がない。初産年齢が30歳以上。初潮が早い。閉経が遅い。若い時代に放射線被ばくを受けた。アルコールの摂取。脂肪分の過剰摂取……。

「でも、私はこのような危険因子が一つとして当てはまらなかったのです。親族にも、がんにかかった人はいませんでした」

 ただ、一人娘である原田さんのがん告知を追うように昨年、70歳を過ぎたばかりの父親が「胃がん」、母親が「肺腺がん」を告知された。両親とも幸い早期発見で、さっさと手術を済ませて現在は元気に生活しているという。

 そんな原田さんの抗がん剤治療が5カ月を経過した一昨年9月、CT検査の結果を担当医師から告げられた。

「乳がんの悪性腫瘍が『10センチから2センチにまで縮小していますよ』と説明されました。このときはうれしかったですね」

 ところが、ここでもう一つの問題が起こった。これからの治療方針について、知り合いから手術ではない方法を紹介され、このタイミングで人生の選択を迫られたのである。1つは「放射線療法と化学療法(抗がん剤)併用」の治療。2つ目は「手術」だった。原田さんは選択に迷う。でも、最終判断で「手術はしたくない」と主張した――。

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