末期がんからの生還者たち

炎症性乳管がん<4>手術を避けるための努力は惜しまず

原田祐子さん
原田祐子さん(C)日刊ゲンダイ

「手術」か、それとも「化学療法+放射線治療の併用治療」か――。

 愛知県内に住む原田祐子さん(51歳)は、次の段階の治療法の選択に迷ってしまう。

 一昨年の5月、豊田市の総合病院で「炎症性乳管がん、ステージⅢB」と告知された。このとき病期はすでに末期に近い。担当医師からは「もはや手術はできません。化学療法を行いますが、もし腫瘍が小さくなったら、手術が可能になるかもしれません」と説明されていた。

 その後、半年に及ぶ3種類の抗がん剤治療で、腫瘍が10センチから2センチまで縮小。手術が可能になった。

 乳がんの手術は乳房を切除すること。原田さんはそれに抵抗感があり「手術だけはしたくない!」と、放射線療法と抗がん剤の併用治療を選択した。

 友人の紹介で病院を「神戸低侵襲がん医療センター」(兵庫県神戸市)に移し、11月半ばから12月の初旬までの約1カ月間、酵素標的・増感放射線療法の治療を行った。

■家族一丸で支えてくれる

 さらに12月6日から今度は名古屋の市立大学病院で、「ハーセプチン」(悪性腫瘍の増殖を抑える抗がん剤)を6クール受けた。

「どうしても手術は避けたかったのです。しかし、私の乳がんは進行が速く、しかも再発しやすいので、そのためにどんな努力も惜しまないと思いました」

 現在、原田さんは3カ所の病院に通院している。名古屋の個人クリニックに3カ月に1回、兵庫県の「神戸低侵襲がん医療センター」に4カ月に1回、それに神奈川県鎌倉市の開業医(自由診療)を月に2回訪ねている。

 一昨年5月から半年間に及んだ副作用が強い抗がん剤治療で、体重が10キロも落ちた。それが今年1月現在で、5キロ戻っていることに喜びを感じている。治療費は毎月平均8万円ほど支払っていて、費用総額の自己負担は約75万円(3割負担)。がん保険にも入っていた。

 主人が社長を務める車両の設計・開発会社の役員を務めている原田さんは、通院の折をみて会社には週に1回ほど顔を出している。

「娘も20歳になって自動車の運転免許をとり、仕事が忙しい主人に代わってときどき病院に送り迎えをしてくれています。鎌倉の病院に行ったときは、東京に住む息子の住居で1泊します。また主人も随分と優しくなったでしょうか」

 家族が一丸になって原田さんを支えている。

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