場面緘黙症とは…歌って克服目指すソングライターが語る

「成功体験を重ねれば、少しずつ良くなっていきます」と岩倉純さん
「成功体験を重ねれば、少しずつ良くなっていきます」と岩倉純さん(C)日刊ゲンダイ

 徐々に知られるようになってきているのが「場面緘黙症」だ。専門家と経験者に話を聞いた。

 場面緘黙症(選択性緘黙)は主に子供に見られる。家の中などでは話せるのに、幼稚園や小学校など特定の場所・状況では話せない。「尾山台すくすくクリニック」院長で児童青年精神科医の新井慎一医師は言う。

「大抵は幼児期や小学校低学年から始まります。不安によって『固まって声が出なくなる』との指摘もあります」

 緘黙の程度は学校で全く話せないような子供から、教師の耳元で小さな声でなら話せる子供、“おとなしい性格”と見られている子供までさまざま。集団生活を送れず本人が苦しんでいるようなら「病気」と捉え、場面緘黙症の診療経験がある児童精神科医に相談した方がいい。ただし、場面緘黙症に関してわかっていない部分も多く、診断や治療がまだ一部の児童精神科医や心理学者によってでしか行われていない現状がある。

 とはいえ、場面緘黙症には、「だれと」「どこで」「何をしている時」が大きく関係している。安心できる人・場所で、楽しいことをしている時には不安を感じにくい。

 ずっと話せなかった子供が、この3つの条件が重なったところでポロッと言葉を発し、それ以降少しずつ話せるようになるケースは珍しくない。そこで新井医師は親とともに園・学校に赴き、教員らとともに話し合って安心できる状況をつくり出すようにしている。

「多くの人は成人になると話せるようになります。やりたいこととの出合いがきっかけで話せるようになる人も。親御さんは内心は心配でも、ぜひとも楽観的な態度で子供と接してください」(新井医師)

■「歌いたいという強い気持ちがあったから」

 CD「緘黙の歌声」を出したシンガー・ソングライターの若倉純さん(40=写真)は、大学入学まで場面緘黙を経験したという。その時の話を語ってくれた。

 ◇  ◇  ◇

 場面緘黙症という病名を知ったのは今から5年前です。当時、社交不安障害によるうつ状態で会社を辞め、治療を受けながら自宅で過ごしていたのですが、いろいろと調べている中で知りました。なぜ子供の頃、話せないのだろうと思っていましたが、重なる部分が多く、腑に落ちました。

 小学校3年生頃から、学校ではうなずくとか首を振るくらいしかできなくなりました。家族とはよく話していましたし、それまではそこそこ活発だったんですが……。話せなくなったきっかけはわかりません。

 学校では萎縮して固まっている感じ。「臆病で情けないダメな人間だ」という劣等感もありました。だから親にも「学校で話せない」とは伝えていません。中3で自己紹介をみんなの前でした時、「声が小さい」とヤジが飛び、それがショックで全く話せなくなり、不登校になりました。

 高校は通信教育です。今思えば、場面緘黙症の症状が続いていたのですが、大学に入ってちょっと話せるようになりました。今までみたいな狭い教室で同じクラスメートに囲まれ決まった席に座るんじゃないことで、プレッシャーがなくなったんです。自分から話しかけたり、会話を続けたりというのは無理でしたが、小さな声だけど、次第に話しかけられたら答えられるようになりました。

 ボーカルスクールに通いだしたのは26歳の時。ずっと通いたくて、でも踏み出せなくて、ようやくマンツーマンで2年間ボイストレーニングを受け、初めて発表会に出た時は、味わったことがない緊張感を覚えました。でも、好きだから、歌をやりたいからという気持ちの方が強かった。それから徐々に人前で歌うようになりました。

 一つ一つできることが増えていると実感しています。たとえば、1年前からFM世田谷でラジオ番組を持っています。昨年12月にはNHKさいたまFMで生放送番組に呼ばれました。ラジオ番組の1年間の経験がなければ、生出演なんて絶対に断っていたはず。だんだん前に進んでいる感じです。

 場面緘黙症があっても、安心できる場所に行けたり、好きなことに出合えたりして成功体験を重ねれば、状況は少しずつ良くなっていく。それを自分の姿で、場面緘黙症のお子さんや保護者の方に伝えていきたいです。

関連記事