天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

僧帽閉鎖不全症の新治療法「マイトラクリップ」は間違いなく広まる

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 救急医療や予防医学の進歩により、2000年以降は心臓疾患による死亡者数は減っていました。しかし、ここにきて再び心臓死する人が増えてきています。高齢化に伴った慢性心不全による死亡で、中でも「僧帽弁閉鎖不全症」がその要因になっているケースが増えています。

 僧帽弁というのは心臓の左心房と左心室の間にある大きな2枚の弁で、これがうまく閉じなくなってしまうと、本来は左心房から左心室に流れるはずの血液が逆流してしまいます。すると、血流量を維持しようとする左心室に負担がかかり、慢性心不全につながるのです。普段はこれといった自覚症状がなかったのに、あるとき急に重症化して死を招くこともある深刻な心臓疾患です。

 データによると、重症の僧帽弁閉鎖不全症の患者さんは、発症から10年間で9割が心臓死するか、外科手術を受けるほど悪化してしまいます。また、発症から5年くらいのタイミングで心房細動を発症して慢性心不全に移行したり、ペースメーカーが必要になるような不整脈を起こす経過をたどります。そうした患者さんは、今度は心房細動による脳梗塞を起こすなど有病率がどんどん増えてくることがわかっているのです。

 そうした僧帽弁閉鎖不全症の“負のサイクル”を最初の段階で断ち切る新たな治療法として期待されているのが「マイトラクリップ」と呼ばれる内科治療です。先端にクリップの付いたカテーテルを下肢の静脈から挿入し、左心房と左心室まで移動させてから、うまく閉じなくなっている2枚の弁の両端をクリップで留める処置を行います。

 僧帽弁がうまく閉じなくなってしまうのは、2枚の弁をつないでいる腱索という線維組織が切れてしまったり、弁そのものが硬くなってずれてしまうのが主な原因です。2枚の弁でズレを起こして逆流の原因になっている部分をクリップで留めることによって血液の逆流が改善されれば、心臓の負担が軽減されて心不全への移行を食い止めることができるわけです。

■近いうちに保険適用される見通し

 これまで、僧帽弁閉鎖不全症の治療は、外科手術で悪くなった弁を交換する弁置換術が中心でした。しかし、患者さんの年齢、全身状態や病状によっては開胸手術はリスクが高く、手術を受けたくても受けられないケースもありました。薬物療法も完治させる治療ではなく、あくまで症状をコントロールするためのものでした。

 しかし、カテーテルによるマイトラクリップは開胸する必要がないので患者さんの負担が少なく、外科手術のリスクが高い患者さんも受けることができます。心臓を極めて精密に映し出せるようになった超音波検査の進歩が、この治療法に役立っています。血液の逆流を改善することで悪化を食い止めることができるので、患者さんの選択肢を広げてくれる治療法といえるでしょう。

 既に欧米では一定の成果が報告されていて、日本でも数年前から臨床試験が行われています。近いうちに保険適用が承認される見通しです。

 もちろん、まだ日本人を対象とした治療実績は少ないうえ、適用となる症例もある程度は限定されることが予想されます。また、確実に治すとなると開胸手術に一日の長があるといえます。

 ただ、1人当たり600万円もの高額な医療費がかかる大動脈弁狭窄症に対する「TAVI」(経カテーテル大動脈弁留置術)に比べると、マイトラクリップは安価といえます。これからさらに高齢化が進んで僧帽弁閉鎖不全症の患者さんが増えるのも確実ですから、保険適用をきっかけにして急速に広まるのは間違いありません。選択肢のひとつとして、患者さん側も知っておくべき新しい治療法といえるでしょう。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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