「先生、悪性腫瘍ってなんですか?」
2015年2月、西口洋平さん(38歳、東京・足立区在住)は「東京逓信病院」(東京・千代田区)で「胆管がん」の告知を受けたとき、担当医師にこんな質問を投げた。
サッカー少年だった西口さんは、高校、大学でサッカー部のキャプテンまで務めた筋金入りのスポーツマンである。
風邪も寄せ付けない西口さんの健康人生に、およそ「がん」といった重い病気などは頭になかった。関心もなく、他人事と思っていた。
「それが、悪性腫瘍とは『がん』のことです、と説明を受けたときのショック。私は『これで死んだな、ああ、終わったな』と、思いましたね」
がんにかかるほど悪いことをしたのか、泥棒や他人を傷つけるようなことをしたのか。何ひとつ心当たりがない。なのに、なぜ自分ががんなどにかかったのか――。
頭の中で、自問自答を繰り返しながら西口さんは、ほぼ同世代の担当医師に、続けて第2の質問を放った。
「ぶっちゃけた話、自分はあとどのくらい生きられるのですか?」
明確な返答はない。ただ口をもぐもぐとさせているだけだった。
医師に背を向けて診察室を後にした西口さんは、絶望の淵に立たされた。岸壁から真っ逆さまに落ち込んで行くような心境である。
■がんは他人事だと思っていた
息を深く吸い込み、まず母親に電話を入れた。西口さんは3人きょうだいの末っ子である。がんの告知を知らせると、嗚咽しているのか声が聞こえてこない。
母親のあまりの慟哭に、診察室で耐えていた感情がいきなりあふれ出し、階段に座り込み涙がこぼれ出た。
次いで妻に電話を入れた。母親に動揺を与えてしまったことに少し反省し、淡々と経過を説明した。問題は、幼稚園の卒園式に加えて、小学校の入学式が迫っていた一人娘である。
「入院をどのように伝えようか、これは自宅に帰って妻と相談しようと思いました」
もうひとつの問題は、勤務先の会社である。大学卒業後の2002年、創立間もないベンチャー企業に入社した。
入社1年目で社長賞を授与されるほどに仕事は順調である。社員たちの信頼も厚い。
ただ、がんの告知は社内で大げさにならないように、所属するチームだけを相手に、出来るだけ明るい声で説明した。最後にこう付け加えた。
「仕事の都合で帰社時間が遅くなるとか、体調の悪い日もあるかもしれません。そのときは、ちょっとした思いやりをください」
がんの告知は仲の良かったサッカー仲間たちにも話し、西口さんの過酷ながん闘病がスタートする。
末期がんからの生還者たち