がんと向き合い生きていく

3度目のがんが見つかった患者さんから届いた「3つのやりたいこと」

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 2度目の乳がんが見つかった主婦のFさん(56歳)から、こんなメールが届きました。

「手術無事に終わりました。ご心配いただき本当にありがとうございました。私ばかりなぜ?とつい考えてしまいますが、こうして連絡をいただき本当にうれしいです。(中略)私の中でやりたいことは後3つ。さんざん心配かけた両親をきちんと看取ること。孫の顔をみること。ボランティアをすることです。こんな体では無理でしょうか」

 私が最初にFさんにお会いしたのは、確か彼女が17歳、白血病で入院された時でした。当時は本人に病名を伝えることはなかった上、抗がん剤の種類も少なく、吐き気や嘔吐などの副作用を軽減する薬剤もありませんでした。Fさんは、病名も分からないまま、つらい副作用に耐えなければなりませんでした。両親をはじめ、医師や看護師が我慢するように説得し、いわば無理やりに治療しました。

 Fさんは懸命に耐えに耐え、当時としては運良く完全寛解となりました。5年以上たっても再発なく完治され、通院も必要なくなりました。Fさんが自分が白血病だったことを知ったのは、それから10年たって結婚する直前だったそうです。

 まさか、その20年後に今度は乳がんになるとは誰も考えていませんでした。当時、私が使っていたパソコンは故障してしまったため、その時にFさんから頂いたメールは探せないのですが、乳がんと告知されてから、温存手術、化学療法、放射線治療、ホルモン療法を行い、大変な思いをされました。それでも、治療を頑張って乳がんも克服されたのです。

 その頃、Fさんから、「息子がサッカーで全国大会を目指してがんばっている」という元気なメールを頂き、私もうれしくなったことを覚えています。

■私ばかりなぜ? という思いを抱えながら…

 乳がんの克服からさらに10年がたち、今回は2度目の乳がんが見つかりました。10年前とは違った組織型の乳がんでした。

 今回、Fさんから頂いたメールには、「私ばかりなぜ?」という率直な思いと、不安な気持ちを抱えながらも、「これからやりたいこと」が3つ書かれていました。

「さんざん心配かけた両親をきちんと看取る」

 そうですよね。ご両親には本当に心配をかけてきました。でも、Fさんは何ひとつ悪くはないのです。

「孫の顔をみる」

 息子さんは立派に成人され、Fさんはもうそんな年になったのですね。あの若かった頃のFさんのことを思い出すと、「孫の顔をみる」なんて私には想像もつかないのですが、そんな幸せがきっと必ず来ると思います。

「ボランティアをする」

 3つ目のやりたいことを見たとき、私は「ピアサポート」という言葉が勝手に頭に浮かびました。がん経験者が、がん患者の相談を受ける活動です。もし、Fさんが相談役であれば、あなたのたくさんの経験から、今がんで悩んでいる患者さんがとても勇気づけられることは間違いありません。誰よりも理解してもらえることで、どれほど助けられるでしょう。

 長年にわたって病気と闘って、闘って、何回も落ち込んで、復活して……。Fさんが話す言葉は必ず患者の心に響きます。もしかしたら、これは神様がFさんに与えた天命なのかもしれません。医師や看護師にはとてもできないことです。

 ハーバード大学でポジティブ心理学を教えているタル・ベン・シャハー博士は、著書の中で「ポジティブに生きるには『自分で、自分を優しくする』ことが大切!」と言っています。例えば、電車で老人に席を譲ったら「ありがとう」と言われた。その時の老人の笑顔を覚えておいて、夜寝るときに思い出す。それで幸せな気持ちになれる=自分を優しくすることになるのだと思います。

 ボランティアをして、「ありがとう」と言われたら、それを後で思い出すのです。自分が他人に役立っているだけでなく、その時を思い出すことで、自分の心も幸せになれるのです。

 Fさん、これからもずっと応援しています。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事