末期がんからの生還者たち

急性骨髄性白血病<2>「治療しなければ2週間で死ぬ」

高松珠代さん
高松珠代さん(提供写真)

 2013年12月末、神奈川県逗子市に住む高松珠代さん(当時51歳=写真)は、地元クリニックの紹介状を持って「横浜市立大学付属病院」(神奈川県横浜市)を訪ねた。

 血液検査など精密検査を受けた結果、「急性リンパ性白血病が疑われます。すぐに入院してください」と告げられる。

 高松さんはさほどショックを受けなかった。ただ夏ごろから続いていた不快な微熱、悪寒、関節の痛み等の原因がわかり、「がんの告知よりも、ようやくこれで治療が始まるという安堵感があったのです」と言う。

 再び、超音波検査、レントゲン等の他、血液を詳しく検査するために、腰に針を刺し、骨髄液を抜き取る骨髄穿刺(マルク)も受診した。

 ご主人と長男が寄り添った面談室で、高松さんは担当医師からこう説明される。

「病名は急性骨髄性白血病です。このまま治療をしませんと2週間で死にます……」

 ご主人の目から涙があふれ出た。結婚して26年、妻が見た夫の初めての涙である。

■2醜類の抗がん剤で「地固め療法」「

 年末から1月初めにかけて、まず抗生剤治療を受け(手などに出来ていた吹き出物を叩く)、2日から抗がん剤治療を開始。白血球がゼロに近づくために、感染防止の目的で他の患者から隔離され、無菌室に入った。

 抗がん剤(ダウノマイシン)とAra―C(キロサイド)の治療を受け、白血球の値が戻ってくるのを待つ。

 隔離部屋のために見舞客は入室禁止。家族の主人と息子が代わる代わるマスクとキャップを装着し、着替えを届けてくれた。

 こうして18日間隔離病室に入院して、退院したのが1月28日である。治療前に測った39度台の体温は、平熱に戻り、筋肉痛や関節痛も改善された。

 2月5日の骨髄穿刺の結果、さらに寛解が告げられる。しかし、これで治療が終わったわけではない。この病気は多くの患者が再発するために、さらに加療が欠かせない。

 高松さんは2月20日から、「寛解後療法」(地固め療法)が始まった。投与された抗がん剤は、ノバントロンとキロサイドの2種類である。

「体力が少しずつ回復し、頭もすっきりしてくると、余計に病気の重大性がわかってきました。なんか、目の前に底なし沼は広がってきているようで……」

 急性骨髄性白血病は、骨髄移植(造血幹細胞移植)の提供者が現れない限り、寛解後療法を継続しなければならない。

 誰が提供者になってくれるか。第一候補者としてまず妹の血液(白血球)を採取した。しかし、妹の血液とは型が合わず、不適合である。

 続いて長女からと思った。だが長女は出産したばかり。骨髄液を抜くことにためらいがある。

 長男、次男の血液も検査され、医師から「移植可能です」との知らせを受けた。

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