独白 愉快な“病人”たち

荒井daze善正さん語る EBウイルスの恐怖とドナーへの感謝

SNOWBANK主宰・プロスノーボーダーの荒井daze善正さん
SNOWBANK主宰・プロスノーボーダーの荒井daze善正さん(C)日刊ゲンダイ
慢性活動性EBウイルス感染症

「そんな軽い気持ちで付き合っているわけじゃない! さっさと治して私を幸せにしてよ」

 病名が確定して厳しい現実を突きつけられ、半ば別れ話を切り出したボクに対し、彼女(現在の妻)が話した言葉です。結婚前から強かったですね(笑い)。でも、彼女のサポートがあって今があることは間違いありません。

 病名は「慢性活動性EBウイルス感染症」。これがわかるまでに1年近くかかりました。始まりは、雪山でスノーボードに明け暮れていた2006年頃です。微熱が続いてへんとうが腫れ、何だかうまく滑れない日が続いていました。手の震えや足の動きの鈍さに気付いたものの、あまり気にせず滑り続けていたある日、自宅で突然、倒れてしまいました。けいれんして泡を吹いていたようです。気付いた時は病院でした。

 医師に「脳髄膜炎」と言われつつ、原因がわからないので救急病院から大きな総合病院を紹介され、検査入院することになりました。全身麻酔で肺やリンパの組織を取るハードな検査を含め、数え切れないほど検査しました。でも、3カ月以上入院した揚げ句、原因がわからないまま退院となり、別の病院で2週に1回通院の経過観察となりました。

 通院しながら雪山に行くのですが、スノーボードの腕はどんどん落ちていくばかり……。見かねた彼女がセカンドオピニオンを提案してくれて、向かったのが国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)でした。そこで病名が確定したんです。

「病名が確定したからもう治る」と思いきや、本番はそこからでした。EBウイルスは、成人の約90%が感染していて、本来なら免疫力で抑えられるはずのもの。でも、それが異常繁殖して臓器不全を起こしてしまうのが、慢性活動性EBウイルス感染症です。当時、世界で約2000例しかないといわれていて、5年生存率はかなり低く、唯一の治療法は骨髄移植。しかも、移植できたとしても生存率は30%程度だといいます。白血病のケースで50%とのことでしたから、一気に先が真っ暗になりました。自暴自棄になって1週間ほどへこみましたが、彼女の言葉に背中を押されて、移植を決意したんです。

■やっと見つかった骨髄移植のドナーに救われた

 でも、がんセンターから前の病院に戻されると、「移植は最後の手段」と言われました。らちが明かないと思い、インターネットでこの病気に詳しい医師を探してみました。すると、東京医科歯科大学の教授が書いた論文を見つけることができました。まだほとんど知られていない「慢性活動性EBウイルス感染症」の研究を、少人数の仲間で独自に進めている先生でした。無謀にも大学に電話をかけてみると運良く先生につながり、「すぐに来なさい」と言われ、移植の話がどんどん進んでいきました。

 でも、移植には骨髄の型が合うドナーが必要です。最も適合率が高いといわれる兄弟がボクの場合は不一致でした。全国30万人のドナー登録者の中に14人の適合者がいましたが、病気や仕事や家族の反対などドナー登録時から環境が変わっていて、結局、一人も提供者はいませんでした。

 適合者が出てくるまで、そこから半年かかりました。その間、とんでもなくきつい抗がん剤治療が4回行われました。そうしながらでも病気の進行を抑えてドナーを待つしかなかったのです。

 そして、やっと見つかったのが関東在住の50歳の女性でした。ボクはその人に命を救われたんです。骨髄移植は強い抗がん剤で免疫力をゼロにして、1万5000ミリシーベルトというとんでもない量の放射線をかけて、完全に骨髄で血を作れない状態にしてから行われました。移植後もすぐに血は作られないので3日に1度は輸血です。2週間ほどすると移植された骨髄が血を作り始めるのですが、凄い高熱が出て体が闘うんです。けいれんしたり、記憶が飛んだりしながら1カ月が過ぎた頃、だんだん落ち着いていきました。おかげさまで、ボクの血液型はA型からO型になりまして、血液型占いを見るところが変わっちゃいました(笑い)。

 体重は16キロも落ちてガリガリ。それでも、プロ復帰するために筋トレやイメトレは欠かしませんでした。7月の移植からわずか半年後、スノーボード雑誌の撮影で北海道に行き、周囲の心配をよそにジャンプしたときは本当にうれしかった。

 移植にあたっては、仲間が「daze募金」というものを設立してくれて、全国のスノーボーダーが協力してお金を集めてくれました。見かけによらずみんないいやつらなんです(笑い)。

 若い人たちに移植やドナー登録に明るい印象を持ってもらいたい。ボクが元気で活動することで、「骨髄移植を受けても元気になれること」や「骨髄バンクの必要性」をこれからも発信していきます。

▽あらい・だぜ・よしまさ 1979年、東京都生まれ。プロスノーボーダーとして活躍していた2006年に病気を発症。骨髄移植を経て復帰した経験から、プロ活動と共に一般社団法人「SNOWBANK」を立ち上げてドナー登録者を増やす活動を続けている。5月12~13日、福島県の「あだたらチャンネルフェス」で、自身のトークライブと献血・ドナー登録会を実施する。

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