独白 愉快な“病人”たち

2度も生かされて…空間デザイナー黒田朋子さん闘病を独白

黒田朋子さん(C)日刊ゲンダイ

 確かに、同意書の最後に「不妊」の文字があります。ただ、私も家族もサインする時は「生きられるのか?」状態だったので、目には入ったけれど心に留まらずだったんです。病気が治っても子供が産めないのなら……と、自分の存在意義さえも問い始めました。

 生殖医療も行う同病院で何とか将来の妊娠の可能性を残す方法はないのか、担当医に伝えたのですが、取り合ってもらえません。そこで、卵子凍結などを行う専門クリニックを自分で探し、コンタクトを取りました。本来なら1クール後の一時退院は7日間でした。

 しかし、採卵して卵子凍結をするため21日間の一時退院をしました。もちろん担当医からお墨付きはもらえず、実際、2クール目には数値が悪化しました。

 でも、その選択をしたことで「やれることはやった」となぜかすがすがしい気持ちになれました。むしろ、たった一つでも卵子凍結できたことで、人生に希望が持て、前向きに闘病できる気になったんです。

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