独白 愉快な“病人”たち

発症して18年…三東ルシアさん膠原病と闘いながらWワーク

三東ルシアさん
三東ルシアさん(C)日刊ゲンダイ

 芸能界をやめて、事務の仕事をしていた頃、確か冬の朝だったと思います。事務所のシャッターを開けたときにふと指先を見たら、真っ黒に汚れていたんです。両手の第1関節のところが全部。「おかしいな、なんかマジックでもつけたかな」と思って手を洗ったんですが、全然取れなくて……。

 病院に行ったら「これはレイノー症状という膠原病の症状のひとつです」と言われました。当時、駆け出しのシングルマザーで子供は1歳になったばかり。私は41歳でした。

 実は自分が「膠原病」であることは、その子が生まれる前からわかっていました。言い換えれば、指先が真っ黒になったその日が、膠原病の症状が初めて表れた日でした。

■「この子が大学を卒業するまでは…」

 膠原病だとわかったのは妊娠初期の検診です。妹がすでに膠原病を発症していて、「お姉ちゃんも調べたほうがいいよ」と言われたことがきっかけでした。この病気は遺伝性が高いのです。

 妹の症状はけっこう重めで、ステロイドホルモン治療によって副作用のムーンフェース(顔が丸くなる)が出たりしていましたが、当時の私にはまるで症状がなく、病名を言われても何となく他人事でした。ただ、「この子が大学を卒業するまでは、倒れようがなんだろうが、頑張らなくちゃいけない!」とお腹に手を当てて覚悟したことは確かです。

 膠原病には種類があり、私の場合は「全身性強皮症」です。皮膚や内臓の硬化や萎縮が特徴の慢性疾患です。症状としては朝に指がこわばって動かなかったり、コップを落としたりすること。内臓への影響は薬で抑えられていますが、ソーセージのような太い指になることもあって指輪はできなくなりました。指先が真っ黒だったのは、寒さで指先の血管が収縮して血行が途絶えてしまったせいです。

 さすったり、お湯に手を入れて温めたりするとだんだん良くなるんですが、ちょっと寒いとすぐに血行が悪くなって手足の先が変色します。一番ひどいときは手首まで変色が広がってしまい、恥ずかしい思いをしました。以来、近所に買い物に行くのにも手袋をしています。

■「具合が悪くて仕事を休むのは嫌」

 自宅では冷房をつけたことがありません。どんなに暑くても扇風機だけ。寝るときは一年中、電気毛布をかぶっていますし、朝、ストーブをつけない日は真夏の数日間だけです。夏はどこへ行っても冷房が効いているので本当に嫌ですね。職場でもすごく厚着なので、はたから見たら“変な人”ですよ(笑い)。冬は冬で息子に言わせると「家の中がサウナ状態で気持ち悪くなる」と言われます。膠原病発症からシェーグレン症候群の症状(涙や唾液の分泌が減少する)が出たり、肺線維症にもなって時々、咳が止まらなくなったりしますが、差し当たって困るのは寒さだけです。

 ただ、2011年6月にステージで転んで大腿骨を骨折してしまったのは大失敗でした。1年半の間に手術を3回して、通算7カ月余り入院したのは痛かった。収入がなくて治療費がかかるのは死活問題ですからね。

 だから、芸能の仕事は休みませんでしたよ。オペした直後も病室から電話でレギュラーのラジオの生番組に出演しましたし、入院中にステージ会場へ行くこともありました。極め付きは3回目の手術の6日後にCDのジャケット撮影に行ったこと。3回目の手術は、3カ月間のリハビリ後に壊死がわかって急きょ決まった緊急手術でした。撮影には車椅子ごと乗れる特殊な車を借りていきました。

 具合が悪くて仕事を休むのは嫌なんです。「すごい」とか「エラい」とか言われますけど、落ち込んでいる暇があるなら働いて稼ぎたかったというのが正直なところです。「息子を育てなきゃ」という思いが私を突き動かすのです。

 いまだにそのスタンスで働いていて、パートのカラオケ店はほとんど毎日出勤。芸能活動とのダブルワークです。たまにはパートを休んでもいいんですが、連休なんかしたら急にガクッとくるような気がして……。

 治療はずっと薬だけ。といっても特効薬はないそうで、血行を良くする薬を中心に朝晩6錠ずつ飲んでいます。これでも必要最低限に減らしてもらったんです。一番多い頃は1日20錠ぐらい飲んでましたよ。

 タフなように見えて、正直やっぱりしんどいです。しんどいし大変なんですけど“病は気から”と思って明るく努めています。

 親として食事だけは手を抜かず、高校卒業まで毎朝お弁当を作り続けました。その息子も今年、無事に大学生になりました。卒業するまであと4年、頑張りますよ!

▽さんとう・るしあ 1958年、神奈川県生まれ。15歳のときに出演したCMで話題となり、主演映画や主演ドラマで人気を博す。75年にリリースした「太陽の季節」がヒットして歌手としても活躍。89年に芸能界を引退するが、結婚、出産、離婚を経て、2003年に芸能界に復帰した。現在はパート勤務しながら芸能活動をしている。

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