独白 愉快な“病人”たち

3歳で脳性麻痺 ヴァイオリニスト式町水晶さん明かす“心の闇”

式町水晶さん
式町水晶さん(C)日刊ゲンダイ

 小脳が普通の人の半分以下しかありません。でも、言語能力や記憶力は人並み以上に高いと言われました。2時間以上のコンサートでも楽譜は置きません。楽譜を見ちゃうとかえってダメなんです。2つのことが同時にできないので(笑い)。

 だからトークそのものは得意なのですが、「曲と曲の合間にトークをする」っていうのがボクにとっては結構大変で、脳のスイッチを切り替えないとできないんです。大げさにいうと人格が違う感じ。何げなくやっていますけど、実は訓練のたまものなのです。トークするボクのままでバイオリンは弾けません。

「小脳低形成による脳性麻痺」は、生まれつき脳からの信号がうまく筋肉に伝わらない病気です。

 ボクの場合は、特に下半身がひどくて、姿勢をキープしたり運動をコントロールしたりすることが難しく、中学まで校内では車いす生活でした。動けるけど危ないという理由で……。

 3歳の時にこの病気がわかり、喘息もあったので、いわゆる病弱な子供でした。

 4歳から療育医療センター(医療型障害児入所施設)に行き、足に装具を着けて車いすで過ごす中、リハビリとしてバイオリン教室に通い始めました。その前はピアノだったのですが、左右の力が均等じゃないことや体幹が傾いてしまうのでボクには不向きでした。

 バイオリンも初めは指先にうまく力を入れられなかった。でも、5歳の時に葉加瀬太郎さんの演奏を見て、「あんなカッコいいバイオリニストになりたい!」と思って猛練習したんです。

 今のボクは純粋に人の役に立つコンサートがしたいと思っていますが、そんな純粋な心境になれたのはここ数年のことです。それまでは「健常者に負けたくない。障害を持っていても弱くないんだ」という“好戦的”な思いが原動力でした。

 特別支援学級のある小学校に通っていた頃は、通常学級の子にからかわれても、クラスメートと助け合って比較的平和でした。

 でも、5年生から通常学級に編入すると、授業や生活スピードの速さからコンプレックスが芽生え、6年生は一番つらい時期でした。いじめの集中攻撃を受けたのです。

 男子からは暴力、女子からはネットでの集団陰口……。心が深く傷つきました。さらに追い打ちをかけるように、医師から「失明の可能性がある」と宣告され、もう人生最悪です。初めて世の中から逃げ出したいと思いました。

 そんな時、祖母の提案で刑務所へ慰問演奏に行くことになりました。「なんでこんな時に……」と思っていましたが、行ってみて気づいたことがありました。自らの罪と向き合ってジッと耐えている受刑者の姿と、いじめに耐えている自分の姿がリンクしたのです。

 実は、それをきっかけに、12歳の時に作曲したのがアルバムタイトル曲「孤独の戦士」です。この曲には受刑者の方々を励ますと同時に、自分自身を助けたいという思いがこもっています。

 それはさておき(笑い)、いじめがピークだった12歳で喘息が悪化し、心臓も狭窄して、子供ながらに「寿命が短いかも」と思いました。この頃から精神的にも肉体的にも大変で心がすさんでいき、いつしかバイオリンが健常者と闘うための道具になっていきました。「仲良くするのは表向きだけ。心は決して許さない」と誓ったのもこの頃です。

 その後、好戦的でストレスが多いせいか高血圧になり、薬が増えると腎臓を悪くし、それまで麻痺のなかった腰や肩にも麻痺が出る2次障害も起こりました。「このままいけば将来寝たきり」という危機感もあって、15歳から筋トレジムに通い始めました。土手を走るようになると血圧が下がり、体力もつきました。以来、筋トレとランニングにハマっています。

 高校生になると完全に車いすから解放され、大量の薬も徐々に減らし、今は目薬だけで何も飲んでいません。最近、体力が同年齢の運動部員の平均を超えたんです。これ、すごくないですか?(笑い)。10キロ走れる脳性麻痺の人は、日本にボクひとりだけだと思います。 カレーうどんのシミみたいな心の闇が漂白されたのは、たくさんの人のおかげです。「式町君みたいなバイオリニストになりたい」と何度も手紙をくれた少年。「本当の盲目は人の思いやりがわからなくなることよ」と教えてくれた老夫婦。「ボクは障害を持っている人のつらさがわからない」と一緒に涙を流してくれたバイオリンの師匠(中西俊博氏)……。みんなに音楽で恩返しをしたい。あと、人生に一度ぐらいは誰かと“おつきあい”もしたいです(笑い)。

▽しきまち・みずき 1996年、北海道生まれ。3歳で脳性麻痺(小脳低形成)と診断され、4歳からリハビリのためにバイオリン教室に通い始める。8歳で世界的バイオリニスト・中澤きみ子氏に師事してクラシックを勉強。10歳から中西俊博氏の下でポップスを学ぶ。慰問やコンサートをこなす中、自身が作編曲した楽曲を含むアルバム「孤独の戦士」で今春メジャーデビューした。

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