実録 父親がボケた

<10>「もう絶望感しかないの…」母が電話口で泣き出した

写真はイメージ
写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 母は弱りきった声で「もう絶望感しかないの」と、電話口で泣き出した。そこで父だけでなく母もインフルエンザに感染したことを知る。夜、タクシーをとばして実家へ。高熱で疲労困憊の母、そして首の回りがドス黒く内出血している父が床に転がっていた。介護に絶望した母が渾身の力で父の首を絞めたのかと思った。違った。

 熱は下がったものの、手足にまったく力が入らない父は転倒し、手すりに顎を強くぶつけたのだ。床に転がった父を高熱の母は助けることもできず、老々介護の限界を目の当たりにした。本当はずっと前から限界だったのだ。 

 これを機に施設入居を決意。担当のケアマネジャーに相談し、介護認定の区分変更申請、ショートステイの手配、新設の特別養護老人ホーム(特養)への申し込みをお願いした。最良の選択をしたいので、特養とは別に12軒の施設の資料を入手し、4軒は見学もした。

 ネックは費用だった。有料老人ホームは入居時に数百万円か、または月額20万円以上かかる。父を高額な施設に入れれば、母は生活が苦しくなる。特養は月額14万~15万円だが、要介護3以上でないと入れないし、入居待ちも多い。このとき父はまだ要介護2だった。母は複雑な心境だったようだ。独居の寂しさ、自分が陥る生活不安、介護ストレスからの解放感、施設に入れる罪悪感。父への愛と憎しみが日替わりで交互に訪れる精神状態。私と姉は鬼と化し、施設入居を勧め続け、母も最後は納得した。結局、父は今回の申請で要介護4になり、しかも特養に入居できることになった。幸運すぎる! まあちゃん、持ってるな、と思った。

 当のまあちゃんはというと、時折寂しさを言葉の端々ににおわせたものの、入居を拒まなかった。施設の迎えが来た時に「長らくお世話になりました、サヨウナラ」と、おどけたのだ。その時は私も「まあちゃん、何言ってんの!」と笑った。でも、その夜、父の言葉を思い出したとき、なぜか泣けてきた。

吉田潮

吉田潮

1972年生まれ、千葉県出身。ライター、イラストレーター、テレビ評論家。「産まないことは『逃げ』ですか?」など著書多数

関連記事