独白 愉快な“病人”たち

ダ・カーポ榊原政敏さん ギター姿勢が招いた“職業病”体験

ダ・カーポの榊原政敏さん(後ろは妻・広子さん)
ダ・カーポの榊原政敏さん(後ろは妻・広子さん)(C)日刊ゲンダイ

 今まで妻にも言ってこなかったんですけど、入院中は何しろ痛くて息苦しくてね。病院の窓から飛び降りてしまおうかと思ったこともあったんです。2階でしたけど……(笑い)。

 2014年の夏、40日間入院しました。「胸椎腰椎圧迫骨折」からの心臓肥大で肺に水がたまってしまったんです。

 痛みは腰痛から始まり、だんだんギターを持つのがツラくなってきたんですね。次第に歩くのもツラくなってきて、次には寝返りがツラい、その次には朝起き上がるのがツラい状態に……。しまいには電動ベッドをレンタルして、やっと起き上がる生活になってしまいました。

 初めは近所の病院で「大したことはない」と言われて電気治療に通っていたのですが、悪化する一方だったので大学病院を受診しました。

 レントゲンを撮ったら「胸椎の一番下と、腰椎の一番上の骨が内側に潰れている」と言われました。

 医師から「どこかにぶつけたとか、転んだんですか?」と聞かれましたが、まったく覚えがありません。いろいろ問診されて職業を話すと「ギターを持って立って歌う姿勢」を指摘されました。

 前かがみになって左手のネックの方を向くと体がよじれ、さらに歌う時には顔を上げる。そんな体勢を40年以上続けていたことが、脊椎の骨折を引き起こしたらしいのです。「疲労骨折みたいなものです」と言われました。

 その頃には、あまりに痛くて寝室からトイレに行くのにも壁を伝って15分もかかっていました。その痛みが心臓に負担をかけて肥大化を招き、不整脈を引き起こし、肺に水がたまったというわけです。

 即入院となって、心電図つけっぱなしの入院生活を送りました。血圧も下がっていて、医師は「まずいな」なんて言うし、心房細動が起こって心臓がブルブルしてとにかく息が苦しいんです。主な治療は、その不整脈を治して肺の水をなくすこと。骨折の治療はカルシウムの薬を飲むくらいでした(笑い)。

■妻に「おまえひとりでやってくれ」と言い放った

 過去に妻が股関節症で入院した時は、彼女は一般病棟を選んで賑やかにやっていましたが、ボクは個室にしてもらいました。

 病室の扉は閉めっぱなし。誰とも会いたくないし、誰とも話したくなかったんです。苦しくて赤ちゃんみたいにベッドで丸くなってハァハァ言っていました。それなのに、妻は次々とお見舞いの人を連れてくるんですよ(笑い)。元気づけようとしてくれているのはわかったんですけど、「こんな苦しい時に……」と思いました。

 体もきつかったですが、精神的にもダメージが大きくて、情けない話ですが「こんなんじゃもうギターも持てないし、歌も歌えない」と思いました。先が見えない苦しさで人生を悲観したんです。そして思い詰めた結果、妻に「俺、もう歌わないからおまえひとりでやってくれよ」と言い放っていました。それくらいすべての気力を失ったのです。

 でも、数日後、妻はこう言いました。「じゃあ、私ひとりでやるわ。最近ひとりでステージをやってみたら案外気楽でいいのよ。でも、あなたはこれからどう生きるの?」と……。そう言われてよくよく考えたら、音楽をやめたら何にも残らないことに気づいたんです。「音楽やめたらみじめな人生だな」とね。

 妻は、ボクがそう思うだろうことを完全に見越していたようです。「俺、やっぱりやる」と妻に宣言したら、急に「早く退院しなくちゃ」と思い、前向きになれました。

 退院してからは、骨折のケアが主な仕事でした。妻が股関節症でお世話になった理学療法士の先生にお願いして週1回、自宅まで来ていただいて、半年間ほど段階を追ってリハビリの方法を教わりました。ステージの楽屋でケアしてくれたこともありました。まさに“神の手”で、最大の癒やしでした。

 教わった体操は、起き抜けに30分、今でも毎朝実行しています。あおむけで膝を立てて左右に振ったり、両膝を抱えてギュッと引き寄せたり、腹筋やブリッジ、体幹トレーニングなど10種類ぐらいのポーズをします。おかげさまで今はどこも痛くありません。

 ステージも初めはギターを持てず、スタンドマイクにすがり付きながら3~4曲しか立っていられなかったんですが、半年以上かかって「完全復活コンサート」ができました。客席から「待ってたよ」と拍手が湧いたときは感動しました。妻には「ね、やめなくてよかったでしょう」と言われましたね。

 やっぱり、ダ・カーポは2人じゃなきゃいけないんだなと思わされました。

▽さかきばら・まさとし 神奈川県生まれ。1973年、久保田広子と「ダ・カーポ」を結成しデビュー。「結婚するって本当ですか」「野に咲く花のように」など数多くのヒット曲を持つ。2007年からはフルーティストの娘(麻理子)との親子3人による活動もスタート。7月1日、「童謡&抒情歌ファンタジーベスト―明日への贈りもの―」(日本コロムビア)を発売した。

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