実録 父親がボケた

<14>知人の訃報に「葬儀に行かねば!」と大興奮状態に

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 特養の契約書の中身を少しだけ紹介しておこう。

 急変時における延命などに関する意思確認書(蘇生処置をするか否か)、生命維持が困難になってきた場合の医療処置、食事を経口摂取できなくなった場合、管で栄養を通すIVH(中心静脈栄養)や末梢点滴、経鼻経管栄養、胃ろう造設を希望するかどうか、などなど。また、転倒時のケガなど予測不能な事故に関して、施設は責任を負わない・訴訟もしないという念書もあった。 

 努めて冷静にサインしようと心掛けた。以前、姉とは「胃ろうはやめよう」と話してはいたのだが、いざ父の命の選択肢をその場で迫られると、頭の奥がしびれて熱くなった。母が余計な同情を募らせて入所を取りやめるなどと言わないよう、私は極力ドライな姿勢を装う。本当は、父の死を強制的に妄想させられて、脳内はひどく混乱していたのだが。

 冷徹に淡々と施設入所を選択しても、こういう細かい感情の揺さぶりは多々起こる。世の中、なんでもスッパリ快諾・解決なんて、本当はウソだ。人は弱い。

 一方、父はというと、そもそも特養を理解していない。「入院」という言葉を使うので、リハビリの病院と思っているフシがある。自分は少し弱っているが、まだまだ健常な社会人(60歳想定)という意識もあるようだ。それを物語る事件が起きた。朝刊で知人の訃報をうっかり読んでしまった父が「葬儀に行く!」と暴れ始めたのだ。ヨチヨチと歩き、たんすからワイシャツを引っ張り出し、息切れしながら喪服を出せと怒鳴る。

「俺が行かなきゃダメなんだ!」と主張するが、歩くのも困難、尿意も制御できず、紙パンツの許容量を超えて漏れることもしばしば。そんな状態で、遠方の会場の葬儀にどうやって出席するというのか。

 車いすで連れていけとは言わない。バスと電車に乗ってひとりで行くと言い張り、大興奮状態。しかし、ズボンを自力でははけない。たまりかねた母から、SOSの電話がかかってきたのだ。

吉田潮

吉田潮

1972年生まれ、千葉県出身。ライター、イラストレーター、テレビ評論家。「産まないことは『逃げ』ですか?」など著書多数

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