独白 愉快な“病人”たち

戦隊ファンに励まされ 俳優・坂元亮介さん食道がん闘病2年

坂元亮介さん
坂元亮介さん(C)日刊ゲンダイ

「すぐに手術しないと余命1年です」

 築地の国立がん研究センターでそう言われたんですから、信じるしかないですよね。

 でも、その時はまだがんを取ってしまえばすぐに治るんだろうと思っていました。

 事の始まりは、2016年の春ごろです。それまで約2年かけて、舞台で全国130ステージを回っていました。それが終わってホッとした途端、風邪をひいてしまったんです。大したことないと思っていたのですが、熱が下がらず近所の病院へ行ったら「肺炎」と言われ、そのまま入院になりました。

 いい機会だから他もいろいろ調べてもらおうと思い、「去年ぐらいから食べ物の通りが悪く、喉が詰まるような感じがする」と訴えました。すると、検査で「食道に腫瘍があります。恐らく悪性でしょう」と言われてしまったんです。

 初めは「ウソだろ? この俺が……がん?」と信じませんでした。

 でも、紹介された国立がん研究センターで精密検査を受けたら「食道がんのステージ3です。リンパ節にも転移しています」と言われ、さすがに驚きました。57歳にして初めての内臓疾患。しかも、がんのステージ3だなんて……。

 20代の時に戦隊ヒーローの撮影事故で死にかけたことはありますけど、内臓は健康だと自負してきましたから、長いこと健康診断など受けてませんでした。

 腫瘍は5センチの大きさに育っていて、医師の見立てでは2年前ぐらいからがんが始まっていただろうとのことでした。

 手術で腫瘍を切除することになりましたが、その前にまず食道がんを小さくしないといけないということで、抗がん剤治療が始まりました。これがつらいんです。

 副作用でいきなり吐き気に襲われ、以後、ほとんど食事が取れなくなりました。

 1週間、抗がん剤の点滴で入院して、3週間休みだったかな。予定ではそれを3クールやって手術という段取りだったのですが、もう耐えられなくて、2クールを終えた後、お願いして手術をしてもらいました。腎臓や心臓への影響も出ていたので、医師もOKしたのだと思います。

■5年生存率は30%で再発の危険も

 手術は、食道の下半分と胃の上半分を切って、胃を引き上げてつなげるというものです。さらにリンパ節の腫瘍切除も続けて行われたので、手術は9時間半に及んだと聞きました。

 目が覚めると体中が管だらけ。開腹だけじゃなく、リンパ節の手術で背中も30~40センチ切ったので、まるで時代劇でバッサリ切られたような痕になっていますよ(笑い)。背中から肋骨を2本切って、手で肺をどかして1.5センチのがんを取ったそうです。

 麻酔が切れると痛みが凄いんです。でも、そんな一番きつい時に実は仕事をしていました。入院前から決まっていたテレビの密着取材で、その仕事を受けるかどうか随分悩みましたよ。ただ、正直なところ治療費や生活費のことを考えて、断り切れませんでした。

 管だらけでカッコ悪いし、本当は痛さや苦しさでどうにもならなかったんですけど、かつての役、スーパー戦隊「超電子バイオマン」のレッドの使命として、決して弱々しい姿は見せたくなかった。だからずっと気が抜けませんでしたね。

 いまだに全国にバイオマンファンがいるんです。日本だけじゃなく、フランスやフィリピンなどでも放映され、世界のヒーローでもあるので、海外からも応援メッセージがたくさん届きました。

「レッドはがんに負けないでくれ」「レッドなら勝てると信じています!」とね。本当に力になりました。それがなければ、ひょっとしたら病から立ち直れなかったかもしれません。

 3週間の入院を経て10月半ばに退院し、その8カ月後には舞台に復帰しました。本来はまだ舞台に立てる状態ではありませんでしたが、応援の声に応えるためにも「やってみよう」と自分を奮い立たせたのです。

 今年の9月下旬で手術からちょうど2年が経ちます。すっかり食が細くなり、体重は81キロから55キロになりました。「切ればすぐ治るんだろう」と思っていたのは大間違いで、5年生存率は30%で再発の危険もあるとのこと。まだまだ闘いは続きます。

 でも、おかげさまで仕事は順調で、今年は何と歌手としてCDを発売しました。しかも、生前にとてもかわいがっていただいた故松方弘樹さんが歌うはずだった曲なんです。運命を感じました。頑張って歌い続けていきたいと思います。

 実はがんがわかる半年前にお金が必要で、解約返戻金のためにがん保険を解約してしまいました。まだまだ医療費もかかりますし、女房には苦労をかけてます。みなさん、「自分だけは大丈夫」なんて思わないで、保険は入ってたほうがいいです。それに定期健診もね。

▽さかもと・りょうすけ 1959年、神奈川県生まれ。18歳で日本舞踊「若柳流」師範となり、78年にテレビデビュー。その後、スーパー戦隊シリーズ「超電子バイオマン」のレッド役でブレークした。一時芸能界を引退したが、40歳を過ぎて復帰。舞台を中心に活躍しながら、今年はシングル「生きてゆく~こんな乱れた時代を~」を発売した。

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