がんと向き合い生きていく

余命6カ月の宣告に頭が真っ白 治療を希望しないことに…

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Mさん(56歳・男性)は8年前、奥さまを乳がんで亡くした後に会社を辞め、ある山村の古民家を購入して移住しました。

 日中は畑を耕し、夜は星を観測するなど、文字通り晴耕雨読の生活を謳歌していました。

 それでも、定期健診はA病院に出向いて毎年受けていました。今回の採血の結果もまったく問題なかったのですが、1週間後、朝の超音波検査が終わってから10時30分ごろに診察室のF医師に呼ばれました。

「膵臓の尾部に腫瘍が見られます。今日、これからCT造影検査を行いましょう。採血で追加の腫瘍マーカーも見ておきます。検査が終わったら食事をして待っていてください。午後2時ごろに、もう一度お呼びします」

 Mさんは「え!」と驚き、不安がよぎりました。ただ、まったく症状もないことから指示に従って検査を受けました。

 そして、午後2時になり、F医師から告げられます。

「膵臓がんが尾部にできていて、胃と腎臓に接しています。手術は無理だと思います。余命はあと6カ月、長くて1年と思ってください」

 突然のことにMさんは頭が真っ白になりました。「あと6カ月」という言葉だけが頭の中を駆け巡り、その後はF医師の説明など何も耳に入らなくなっていました。覚えていたのは、最後に「Gクリニックに紹介状を書いておきます。娘さんには私から電話で説明しておきます」と言われたことくらいです。

 自宅に戻ったMさんは、自分で作ったキュウリ、ナス、トマトのいつものおいしい味がまったくなくなってしまい、ただガリガリとかじっているだけになったことに気づきます。畑仕事も、本を読む気もなくなっていました。

 2日後、娘さんから電話がかかってきました。「お父さん、大丈夫? F先生が電話で手術は無理だし、抗がん剤は人間の尊厳をダメにする。Gクリニックに行って、緩和ケアが一番いいと言っていた。今度、仕事を休める日に行くから、元気出してね」

 Mさんはとっさに「俺は大丈夫だよ」とだけ答えましたが、電話が終わったら愕然として、しばらく座り込んでしまいました。

■医師から何を説明されたか、どう答えたか分からない

 ぼーっと何も手につかないまま3週間が過ぎた頃、MさんはようやくGクリニックに行き、G医師にこれまでの経過を話しました。F医師からの紹介状には、「外科医は、もしもがんが小さくなれば手術可能かもしれない。しかし、ご本人は手術、放射線治療、抗がん剤治療は希望されませんでした」と書いてありました。

 それを目にしたG医師から「抗がん剤治療は希望されなかったのですか?」と尋ねられ、Mさんは打ち明けました。

「実はF先生からあと6カ月の命だと言われた後、頭が真っ白になってしまいまして……。その後、何を説明されたか、どう答えたか分からないのです。F先生は『抗がん剤治療は人間の尊厳をダメにする』と娘に言ったようです」

 すると、G医師からこう言われました。

「抗がん剤治療は効くかどうかやってみないと分からないのですよ。抗がん剤治療を始めてもう2年経って元気な方もおられるし、放射線と抗がん剤の後に手術して治った方もおられます。Mさんはこんなに元気なのに、まったく治療しないのはもったいない」

 その後、MさんはGクリニックで抗がん剤治療を開始しました。すっかり元気が戻り、「何も治療しないで死を待つのはつらい。治療してどうなるか分からないが、たとえ明日死ぬにしても、今日、リンゴの木を植えるのだ」と娘さんに話し、また畑仕事を始めたそうです。

 膵臓は腹部の奥にあることからがんが見つかるのが遅くなり、その後の命が短くなってしまう患者さんが多いといえます。最近では、沖縄県のために命を懸けて頑張ってこられた翁長雄志沖縄県知事が膵臓がんで亡くなりました。しかし、G医師が言われるように、膵臓がんの患者さんのすべてが短命というわけではなく、進行していても治癒された方もいらっしゃいます。

 抗がん剤を毛嫌いする医師はまだまだ多くいます。しかし、F医師の「抗がん剤は人間の尊厳をダメにする」という言葉は大きな誤解なのです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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