Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

樹木さんは乳がんの薬物療法を拒否 QOL優先で放射線を選ぶ

樹木希林さん
樹木希林さん(C)日刊ゲンダイ

「あなたがお聞きになりたいのは、私がいつ死ぬか。そういうことなんじゃないですか」

 75歳の生涯を閉じた俳優の樹木希林さんの闘病生活を直撃したテレビリポーターに、生前の希林さんはジョークを交えながら、そんなふうに答えていました。

 2004年に発覚した乳がんは、翌年に乳房全摘手術を受けたものの、4年後の08年に腸や副腎、脊髄に転移。13年には全身転移があると診断されたそうです。それでも「今の治療はよくてね、痛いとかないのね。頂いた仕事を淡々とこなすことができるわ」と笑顔だったのがとても印象的でした。

 発症当時61歳。一般に毎年100万人に上るがんの新規発症者のうち3人に1人は、65歳未満です。自分の将来はもちろん、パートナーがいれば家族のこと、仕事のことなどが交錯して、不安は募るでしょう。そのショックから、告知から1年以内の自殺リスクは、がんでない人に比べて20倍といわれます。

 そんな不安はまったくみられなかった希林さんでしたが、告知当初は少なからずあったはず。では、それを乗り越えるよりどころは、どこにあったのでしょうか。希林さんの行動などから推測するに、仕事を含めた生活だったと思います。そこを中心軸に据え、治療と生活との両立を模索したのでしょうか。

 そう思わせるのが、術後の対応です。手術後のホルモン療法は基本ですが、希林さんは副作用のつらさから途中で拒絶したと報じられました。その後の転移がんには、いずれも放射線治療を選択されています。

 ここでタラ、レバをいうつもりはありません。しかし、乳がんのタイプに応じたホルモン療法や化学療法、抗HER2療法などの薬物療法を完遂すれば、より延命できた可能性はあります。

 一連の報道やテレビ映像に触れると、希林さんは、がん治療についてかなり勉強されていたようですから、薬物療法についての知識も蓄積した上で、放射線治療を選択したのかもしれません。

■「仕事は頂いた順に受けます」

 訃報後の特集でこんなシーンを目にしました。

「仕事は頂いた順に受けます。選ばない」

「最近は義理の仕事が多くてね、断れないのよ」

 仕事が第一だったことがうかがえます。その点を踏まえると、治癒の可能性より副作用の少なさに重きを置いた治療選択も合点がいくでしょう。放射線治療は、生活の質を維持するという意味では有効ですから。

 話題に上っている九州の放射線クリニックでは1回のピンポイント照射でさまざまな転移病巣に治療したと思われます。そうだとすれば、照射時間は数分で、副作用はほとんどなかったはず。希林さんのがん診断当時はあくまでも手術と術後薬物療法が標準。万人にお勧めできる治療ではありませんが、QOL(生活の質)を重視する考え方は参考になるはずです。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。

関連記事