患者に聞け

脊柱菅狭窄症<1>手術するなら日本一がいいに決まってる

小俣一平氏
小俣一平氏(提供写真)

「マチュピチュだろうがエベレストだろうが、どこへ行っても大丈夫ですよ、カッカッカッ」――。大きな声で笑いながら主治医の清水純人先生は太鼓判を押してくれた。手術をしたのが2017年11月22日、翌23日に退院してから3カ月目のことだ。

 脊柱管狭窄症。スラスラ読めたら教養人、漢字で書けたら症状持ちと相場が決まっている。

 体の異変をハッキリ自覚したのは3年前の2015年10月のこと。その数カ月前から右足が冷え込み、それが左足に移動、徐々に痛みを伴うようになっていた。それが足の付け根辺りがひんやりする感覚に変わった。「アレ! 酔って粗相をしたのか?」とヒヤリとさせられる。両足の太ももから下肢に、日に何度か痛みが走り、足がしびれるようになった。

 翌2016年正月、ついに我慢できなくなり近所の整形外科に飛び込んだ。「あぁ第4腰椎と第5腰椎の間が潰れていますね。脊柱管狭窄症です」と医師は私にレントゲン写真を見せながら、「完治するのはなかなか難しい」と説明した。

 その後自分で調べてみると、この病気は腰椎の老化による変形のため、足へいく神経の通る管が狭くなって起こるらしい。しびれと激痛が繰り返し押し寄せる。寝ている分にはやり過ごせるが、激痛の波が短くなり、やがて歩行するたびに体を丸めないと前に進めなくなった。

 それでも当時週刊誌で連載していた「トイレ探検隊がゆく!」の取材で、1週間ほど「四国トイレお遍路」を敢行した。車を併用するとはいえ「遍路ころがし」と呼ばれる難所では、「いててて、いててて」と10歩歩いては休み、10歩歩いては座り込みながら移動する始末。これが次第に日常になってきた。家人からは、「寝たきり老人だけにはならないでね」とクギを刺された。そのころ読んだ週刊誌に、脊柱管狭窄症を内視鏡を使って手術する特集記事が出ていた。

 早速インターネットで検索すると、千葉県香取市の「国保小見川総合病院」に内視鏡手術、正確には<経皮的内視鏡下腰椎椎間板摘出術=PELD)での手術件数日本1位の3000例以上>の実績を持つ清水純人先生がいることを知った。

 どのみち手術をするなら、日本一がいいに決まっている。「小見川? どこだ」。千葉県成田市の先と知ったとき、この激痛を抱えて横浜から行けるのだろうか? と不安に。だが、「どんなに遠くてもこの苦痛から解放されるのなら、どこでも行くわい」と意を決した。

▽おまたいっぺい 1952年生まれ。武蔵野大学客員教授、元NHK社会部記者。「新聞・テレビは信頼を取り戻せるか」などの著書がある。

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