がんと向き合い生きていく

「2週間の命」と告げることで安らかな死を迎えられるのか

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Aさん(68歳・男性)は膵臓がんで抗がん剤治療が効かなくなり、B病院からCホスピスに転院。その3日後、ホスピスの主治医である若い女医さんが、奥さまにこんな話をしたそうです。

「Aさんはまだまだ生きられるつもりのようですが、命はあと2週間と予想されます。ご家族の了解が得られれば、そのことをAさんに告げたいと思いますが、いかがでしょうか? 多くの方は、最初は大変混乱されますが、だんだんそれを受け入れて次第に穏やかになり、最期は安らかになられます。ご家族もこの状態を受け入れていかなければなりません」

 その時、奥さまは「本人には、そのことだけはどうしても言ってほしくない」と主治医に頼みました。しかし、その夜から奥さまは悩んだといいます。

 ホスピスの主治医は「最期は安らかになる」と言っている。もし、自分が反対したために夫の最期が安らかになれなかったらどうしよう……。

 それでも、いまのAさんの様子を見ると「どうしても本人には伝えてほしくない」と思いました。奥さまは思い悩み、Aさんには内緒で私の外来に相談に来られたのです。

 あと2週間の命が予想される状態とは、もうかなり体力的にはきつい状況になっていると思います。そこで短い命だと告げられて死の恐怖の奈落に落とされ、日に日に体力を失い、考える力さえなくなって、最期はあたかも穏やかなように見えるだけかもしれません。それが、主治医には「死を受け入れた」ように見えるだけなのではないか? それを安らかな死というのでしょうか?

 私たちの病院で胸腺がんと闘った、当時、東京医科歯科大学第1外科医局長の斉藤直也氏(享年48)は、最後は友人の病院で亡くなられました。斉藤氏の奥さまが筆を執られた追悼書には、ご本人が話された言葉が書かれています。

「人間の寿命は決められているかもしれないが、寿命なんて知らずに生きていけるほうがいい。たとえ交通事故に遭って明日死ぬにしても、自分の寿命をカウントダウンしなければならない人生はあまりにも過酷だ」

■患者は不確かながら死が近いことを自覚している

 主治医の言葉は、患者さんにとって決定的です。「あと2週間」と告げられた後、患者さんからすれば、まさに命のカウントダウンが始まるのです。そうなった時、その患者さんは一日一日をどう送るのでしょうか。夜、ひとりになった時にどんな思いで過ごすのでしょう?

 それにしても、ホスピスの主治医はどうして「2週間の命」だと患者本人に告げたいのでしょうか。安らかな死を迎えるには、しっかり残された期間を言うことが必要だと考えているのかもしれません。本当に2週間かどうかは誰にも分からないのにです。

 あと「3カ月」や「6カ月」の命と言われる場合と、「2週間」と告げられるのとでは、患者さんが受けるショックは大きく違うと思います。Aさんは、もう治療法がなく、そのためにホスピスに転院した。自分が短い命であろうことも知っているのです。それでよいのではないでしょうか。 ある患者さんから私はこんなお話を聞きました。

「医療者が考える死の受容には、『生きることを諦めさせよう』という考えがあるように思います。医療者側が『あの患者は死を受容しているようだ。生きることを諦めた』と思えると、ホッとしているように見えるのです」

 多くの患者さんは、主治医に言われなくても、死が近づくと体力もなくなり、いつの日かは分からないが不確かながら死が近いことを自覚されると私は思います。その時、死ぬ日が決まっているのではなく、その「不確かながら」というところがとても大切なようにも思うのです。

 人はさまざまです。死を受容するのではなく、最期まで「生きたい」という気持ちであっても、それでよいのではないでしょうか。

■本コラム書籍「がんと向き合い生きていく」(セブン&アイ出版)好評発売中

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事