独白 愉快な“病人”たち

半年で髪の3分の1を…角田真住さん語る多発性脱毛症の壮絶

角田真住さん
角田真住さん(C)日刊ゲンダイ

■販売会社代表・NPO団体設立準備中 角田真住さん(40)

 2歳の子供でも、「あっ!」とビックリしていました。じゃれて私の髪を引っ張ったときにゴソッと束で抜けたもんですから……。その驚いた表情を見て、私と夫はケラケラ笑ったんですけどね(笑い)。

 髪が抜け始めたのは、2人目の子供を出産して間もなくです。自分で頭皮マッサージをしていたら、指先にツルツルした感触があったんです。夫に頭皮を見てもらったら「10円玉ハゲがあるよ。円形脱毛症だね」と軽い調子で言われました。

 私も円形脱毛症ならよく聞く話だし、「育児出産のストレスかな」と思いながら、自然に治るだろうと楽観していました。

 でも、「一応、病院に行ってみれば?」という夫の言葉に促され、軽い気持ちで皮膚科を訪ねました。

 診ていただくと、10円玉ハゲのほかに小豆大のハゲが2つ見つかり、「円形脱毛症」ということで塗り薬を処方されました。以後、週1ペースで通院していたんですが、行くたびに新たな脱毛部分が増えていったんです。

 1~2カ月すると「これはおかしい」となり、ステロイド剤を1週間飲んでみることになりました。医師によると「自己免疫疾患が原因」とのこと。つまり免疫機能が毛根を異物と認識して攻撃しているというのです。

 ステロイド剤を飲み始めるとすぐに副作用に襲われました。目が回って気持ちが悪くなって、1週間起き上がれなくなってしまったんです。インターネットで調べてみると、単発型の円形脱毛症は治りやすいけれど、多発性になると治りにくく、ひどくなると体毛全部がなくなると書いてありました。

 当時、髪は私の自慢でした。たっぷり豊かで、サラサラのロングヘアだったんです。美容室でも「キレイな髪ですね。頭皮もとても健康的」と褒められていましたから、まさか脱毛症になるとは夢にも思っていませんでした。

 かなりショックを受け、救いを求めてネット検索をすると、多くの患者の「誰にも言えない」というネガティブな内容ばかりが目につきました。でも、試しに米国のサイトを見てみると真逆なんです。「病気を受け入れてイキイキと生きましょう」という前向きなブログが多かったのです。

■苦肉の策で頭にスカーフを巻くと

 米国では医療費が高いので、命に関わらない場合はほとんど医療機関を利用しません。そういう事情もあるでしょうが、私も素直に共感できて、「髪だけのために全身をこんなに痛めつけてしまうなら、薬はもうやめよう。このままでいいわ」と決意できたのです。

 薬をやめたら症状は進みました。最初の円形脱毛を見つけてから半年で、髪の3分の1がなくなりました。子供が髪を引っ張って驚いていたのはこの頃です。

 ウィッグを着けなければ外に出られなくなりました。医療用ウィッグは高価なので、ファッション用の1万~2万円のウィッグです。でもズレないように、飛ばないようにと思うとどうしてもきつく締めるから、痛くて夏は暑い。何より違和感があって似合わない……。気持ちは前向きなのですが、そのうっとうしさが悩みでした。

 で、ある日、苦肉の策で手持ちのスカーフを頭に巻いて友達との集まりに行ってみました。すると「それ可愛い!」と言われたんです。一気に気持ちが上がりました。ウィッグは常に“変に見られていないかな”という不安がありましたが、スカーフは堂々としたおしゃれ。ファッションのひとつとして楽しむことができるんです。

 ちょうどその頃、新聞で見つけたのが1年間無料で受講できるビジネススクールの広告でした。結婚前の仕事が新規事業の立ち上げだったこともあり、興味が湧いて、髪を失った女性にウィッグに代わるこんなスカーフを作りたい旨を書き、応募したんです。

 それが見事に通り、勉強をしながらビジネスプランを練ったら、地元・群馬のビジネスプランコンテストで入賞しまして、ついにヘッドスカーフを販売する会社を立ち上げてしまいました(笑い)。こうなると、もう髪がないことで落ち込むことはありません。むしろ、ニーズを誰より理解しているから “強み”なんです。

 一方で、スキンヘッドにアートを施したファッションショーや写真展などを企画しています。こちらはNPO法人として立ち上げ準備中です。髪のない女性も世の中の人が見慣れたら、少し生きやすくなるはず。

 そして、髪のない子供が学校でいじめられない社会や、誰もがコンプレックスを隠さず生きていける多様性のある社会にしたいと考えるようになりました。

 病気になったから気づけた思いや人との出会いで、私の人生はどんどん広がっています。

(聞き手・松永詠美子)

▽つのだ・ますみ 1977年、群馬県生まれ。地元企業に就職し、結婚・出産を機に退職。第2子出産後に発病し、頭髪を失ったことをきっかけにヘッドスカーフ「リノレア」を考案。ビジネスとして会社を立ち上げ、販売を開始した。髪を失った女性と社会をつなぐプロジェクト「ASPJ」の共同代表を務め、髪のあるなしにかかわらない美しさを伝えるため、国内外で活動している。

関連記事