がんと向き合い生きていく

分子標的薬の登場が慢性骨髄性白血病の治療を劇的に変えた

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 K君と私は同郷で、2人とも医学部に進学しました。黙っていてもお互い通じる仲で、彼はずる賢いところが全くない、実直で「誠」を貫く男でした。

 K君は「医師になって病人を救う」という目的をしっかり持っていました(私は医学部に進む目的を「人間って何だろう? 何かが分かるかもしれない」と考えていました)。卒業後は、大学紛争などもあって、それぞれ離れた病院に勤務しました。

 K君が慢性骨髄性白血病にかかったのは30歳の頃でした。当時の私たちは、患者がたとえ医師であっても、本人には、がんとか白血病とかは知らせない、「死を告げないことが最大の愛」だと信じていました。K君が白血病であることは医師の親しい仲間にはこっそりと伝わりましたが、彼自身は病名を知らないことになっていました。

 病気の彼が旅行だといって上京した時は、とても元気そうに見えました。彼から「脾臓が腫れている」と言われたのですが、私は、あえて話をそらしたことを覚えています。当時の私は、フランス留学から帰られた上司の指導の下で、白血病患者の治療をしていました。患者本人には白血病とは言わず、家族にだけ真の病名を告げていました。しかも、私は日本ではまだ2、3カ所でしか試されていない骨髄移植にも加わっていました。

 しかし、K君に本当の病名のことを知られまいとして、私の仕事を話す勇気さえありませんでした。K君に会えたのはその時が最後で、翌年、彼は勤務先の病院で亡くなりました。

 その後、10年ほど経って、骨髄移植は慢性骨髄性白血病の標準的治療法になったのでした。

■骨髄移植から分子標的薬へ

 慢性骨髄性白血病は、造血幹細胞に異常(染色体の9番と22番の一部が入れ替わることによりフィラデルフィア染色体が生じる)が起こり、がん化した白血球が無制限に増殖する病気です。初期の段階ではほとんど症状がなく、多くは健康診断などで白血球数の増加を指摘されて見つかります。白血球数が増加すると、脾臓が腫大してきて腹部膨満感を感じることもあります。

 K君が治療していた時代は抗がん剤で白血球数の増加を抑えるだけの治療で、白血球数が5万以下にコントロールするのをよしとしていました。しかし、3年ほど経つと多くの患者は慢性期から急性転化して、治療に抵抗して亡くなりました。その後、骨髄移植が普及し、1985年ごろから2000年ごろまでの約15年は、治癒を目指す標準治療となったのです。

 骨髄移植は超大量の抗がん剤と全身放射線治療を行い、白血球数がゼロになり無菌室で他人の骨髄が定着するまでの約1カ月間、患者は我慢の日々を過ごします。それが成功しても、多くはGVHD(移植片対宿主病)で皮疹、下痢、肝機能障害などに悩まされました。

 しかし2001年、分子標的薬「イマチニブ」の登場が治療法を劇的に変えました。薬を内服するだけで骨髄移植以上の効果が得られたのです。今日まで、慢性期の場合、この薬での8年全生存は85%、しかも白血病関連死は少ないといわれています。また、この薬が効かなくなった場合でも他の薬剤があるのです。

 ただ、白血病が遺伝子レベルでも異常を認めない状態になっても、この高価な薬をいつまで飲めばいいのかが分かっていません。良い状態が続いていて治療を中止する試験が海外でも国内でも行われています。現状では、もし治療を中止する場合は担当医との十分な検討・相談が必要です。

 慢性骨髄性白血病は、薬によるがんの治療法では最も進歩したもののひとつです。あの時、K君は、実はすべてを知っていて、真実を話し合いたかったのではないか? そして、わずかでもアドバイスを求めていたのではないか? 何十年経っても悔やむ気持ちが残っています。私の脳裏のK君は、若いままでほほ笑んでいるのです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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