がんと向き合い生きていく

恐怖のない安寧な死はある 104歳の女性患者に教えられた

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 私は約40年間、がん患者の診療に携わることができ、幸いにも多くの患者さんががんを克服されました。しかし一方で、残念ながらたくさんの方をみとってもきました。進行したがんで人生を中断され、「生きたい」のに無理やり、死ななければならなかった方々の無念さが、私の身に染み込んでいる気がするのです。

 宗教を信じない人が多い現代で、最近は「治らない」ことや「短い命」であることが患者に告げられています。

 患者は心安らかに過ごせているのだろうか、死の恐怖にさいなまれているのではないか……そんな思いが、いつも心にあります。

 それにしても、死とはすべてに恐怖があるのだろうか? 自然死では恐怖はなく、安寧な気持ちで亡くなっているのだろうか? そんなことも考えます。

 ずっとがん死をみとってきた私は、介護老人施設に一時勤務した時、数人の自然死をみとる経験をしました。ほとんどぼけ症状の見られない104歳になるRさん(女性)は、やや大柄な顔立ちで白いぼたんのような方でした。

 ある年の2月末、Rさんは水分以外ほとんど食事を取らなくなりました。部屋を訪ねると、いつものように右手を出して握手を求められます。私が「食べたくないの?」と尋ねると、「眠りたいのよ。このままでいいの」とおっしゃるのです。

 80歳に近い息子さんと今後について相談したところ、「母から『最期は延命処置をしないでくれ。自然に』と自筆の書をもらっています。自然にお願いします」とのことでした。

 それを受け、私は特に医療的処置を行わず様子を見ていました。それでも、およそ10日後には食事を少しずつ取れるようになり回復されました。

 3月の末になり、施設の前にある大きな2本の桜が満開になった時、私は「車いすに乗って桜を見よう」と誘ってみました。しかし、「桜? 見なくてもいいよ。もう、たくさん見たから……」と断られてしまいました。

■このまま眠って死んでいいのに

 それから7月ごろになって、Rさんは再び食べなくなりました。吸い飲みでお茶やコーヒーなどはむせることもなく飲まれますが、食事はされません。

 ある時、ベッドの上で目を閉じているRさんに声をかけると、左指で上まぶたを上げ、目をぎょろっとさせて「お! 先生、今何時? そう、10時か。私はまだ死んでいないのか。このまま眠って死んでいいのに」と口にされました。

 またある時は、「まだ生きていたか。もういいのに。苦しくもなんともないよ」と言われ、私が「お迎えが来ないと逝けないから」と話すと、「うん」とうなずかれました。

 次第にRさんは目を閉じていることが多くなり、呼びかけても返答のある時とない時を繰り返すようになりました。そして、近くの公園にたくさん咲いたコスモスを冷たい小雨が揺らしている日の午後に静かに息を引き取りました。息子さんは、「私も母のような死に方をしたい」と話されました。

 自然死では、恐怖のない安寧な死はあるのだ……私はそう思いました。

 そして、ロシア生まれの動物学者、E・メチニコフが約110年前に書いた「生と死」に登場する、あるおばあさんの話を思い出しました。

「もしおまえが私ほど長生きすれば、死が怖くなくなるばかりか、死にたいと思うようにもなる。眠りたくなるように、死にたくなる。……明らかに、ここで精神的能力を十分に保持している100歳の老女に、発達した自然死の本能が見られた。眠りの要求に似た、それほど年をとっていない人々にはわからない新しい感情があらわれた」

 これは本当のことだと思います。人生が中断されるがんの終末期において、死の恐怖を覚え、悩まれる方はたくさんおられます。たとえ自分で「死の受容はできている」とは言っていても、いざとなった時はそれが心底からではないと思われる患者はたくさんいるのです。

 がんの場合でも安寧でいられる方法を探っている私は、「死のすべてが恐怖のあるものではない」ことをRさんから教わったのです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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