がんと向き合い生きていく

「安楽死」を希望する患者が診察して30分後には笑顔を…

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 スーパーでレジ係を担当しているMさん(58歳・女性)は、初診の方でした。診察室に入って私の顔を見るなり、「安楽死させて下さい。どうしたら楽に死ねるでしょうか?」と言われるのです。

 とっさに私は「え!? 安楽死なんてできませんよ」と答えようかと思いましたが、まずはどんな病気で、これまでどうされたのかを聞いてみました。すると、Mさんはこんなお話をしてくれました。

「実は私、膵臓がんなのです。1カ月前、肝臓に転移がきて再発したと言われ、抗がん剤治療を1回だけ受けたのですが、吐き気などの副作用が強くて続けられないと思って治療を断りました。そうしたら、担当の先生が『これまでずっと頑張ってきたから、あなたがそう思うならやめていいですよ』と言ったのです。もう手だてはありません。私はこの近くに住んでいます。どうか、苦しまずに最期を迎えたいのです。今のところ、どこにも痛みはありませんし、体は元気です。ここで診ていただけますか?」

 さらに、詳しい経過もうかがいました。

 膵臓がんが見つかったMさんは、Y大学病院で放射線・抗がん剤治療、手術を受け、その後は抗がん剤内服治療(S―1)を行いました。それから2年が経過した今回、肝臓への転移が明らかになったといいます。そこで、外来で抗がん剤のゲムシタビンとアブラキサンの点滴治療が行われましたが、1回目の投与で手足のしびれと嘔気が表れたため、Mさんは治療を断ったのでした。

 このお話を受け、私はこんな提案をしてみました。

「治療経過から薬の整理をしてみましょう。S―1を内服していて肝臓に転移がきたのだから、S―1はもう効かないと思う。そして、今回はゲムシタビンとアブラキサンの併用で副作用が強かった。2年前に行われたゲムシタビン単独治療では効いている状態のまま手術になった。この時、副作用は出ていません。今回の肝臓への転移はゲムシタビンが効かなくなった結果ではなさそうだから、もしかしたらゲムシタビン単独でも効くかもしれませんよ。やってみますか? いかがですか?」

 私の説明を聞いたMさんはすぐにニコッと笑みを浮かべ、「先生、納得です。やってみます」と返事をしてくれました。なんと、いきなり「安楽死させて」と飛び込んできた患者さんが、30分後には笑顔になって抗がん剤治療を行うことになったのです。

 さらに、治療中に調子が悪くなった時は入院できることを保証し、Mさんはとても安心されたようでした。診察室を後にされる時、Mさんは「いま家族は犬1匹だけです。犬が死ぬ前に自分は死ねないのです。犬と一緒に安楽死させていただくつもりでした」と笑っていました。

■担当医は一緒に悩んだのだろうか

 Mさんが副作用で治療を断った時、大学病院の担当医から「あなたがそう思うならやめていいですよ」と言われ、他の治療法などの提示はありませんでした。そこから、Mさんの中で「もう手だてがない」という思い込みが生まれ、「安楽死」という考えにつながっていったように思うのです。

 この日のMさんは、治療法が見つかって生きる希望が湧いてきたのだと感じました。

 たしかに、再発した膵臓がんは完全には治らない可能性が高いといえます。でも、Mさんは、いま元気なのです。もちろん、何も治療しないで過ごす選択肢もあります。患者には自己決定権があり、患者自身が「治療しない」と言ったから……本当にそれでいいのでしょうか?

 はたして担当医は患者と一緒に悩んだのだろうか。患者がどんな治療を選択するのかは、医師からの治療法の情報がとても大切なのです。今回のMさんを見て、他の医師の意見を聞いてみること(セカンドオピニオン)も大切であると思わされました。

 私のこうした意見をもし緩和医療科の医師が聞いたら、「また治療なのか? 往生際が悪い」と言われるかもしれません。しかし、多くの患者は他に治療法があるというなら、治療を受け、生きたいと思います。それは当然のことなのです。

 Mさんがどのくらい生きられるかは誰にも分かりません。それでも、抗がん剤治療が効いて少しでも元気に長く生きて欲しい。そう思っています。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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