主婦のMさん(60歳)は、定年を迎えた夫のFさんと娘さんの3人で暮らしていました。5年前の暑い夏に、目まいを感じたのが脳腫瘍との闘いの始まりでした。
がんは大脳の広い範囲に及んでいて、手術では取りきれずに放射線治療が行われました。しばらくは小康を保っていたのですが、2年後の12月の寒い日に高熱を出し、その後、意識を失いました。病院に運ばれ熱は下がったのですが、意識は戻りません。経管栄養が始められましたが、体位を変える時に少し表情が変わったように見える以外は、まったく無表情のままでした。
家族は、主治医から「出血とがんの再発で、もう意識が戻ることはない。長くもっても6カ月くらい」と告げられました。それから2カ月が過ぎた頃、Mさんは勧められた郊外の小さな病院に転院しました。自宅からは遠くなりましたが、病室の外は林になっていて自然に囲まれています。Fさんと娘さんは交代で見舞いに通いました。
Fさんは覚悟していましたが、「一度はまた意識が戻ってくれないか」という期待も抱いていました。しかし、少しでも長く生きて欲しいと思う一方で、時には「意識が戻らないなら、このまま生きていることは幸せなのだろうか?」と考えたり、ある人から「意識がなく、経管栄養で生かされては生きている意味がない」と言われたのを思い出したりもしました。
■意識がなくても「気持ちいい」と言っている
そのまま、また夏が来ました。ある日の午後、Mさんの病室には開けられた窓からさわやかな風が入ってきていました。病室に着いたFさんは汗を拭きながら、Mさんの顔色を見て「今日も変わりないな」と思いました。
そんな時、担当のR看護師がやってきて、Mさんに声をかけました。
「Mさん! 今日は気持ちいいですね。良かったですね。旦那さんが来られているのも分かっていますよね。そう、うれしいですね。ほら、Mさん喜んでおられますよ」
Fさんは少し怪訝に思って、「本人は本当に気持ちがいいと思っているのでしょうか?」と尋ねてみました。すると、R看護師は「ええ、体全体がとってもリラックスされて、気持ちがいいと言っていますよ」と答えたそうです。
この話をFさんから聞いた私は、重症心身障害者を長年ケアされている医師である高谷清氏の著書「重い障害を生きるということ」(岩波新書)を思い出しました。
「脳の形成がなくとも脳が破壊されていても、本人が気持ちよく感じる状態は可能なのだ。……苦痛がなく、安心できる環境において、『からだ』自体が自分の存在は気持ちがよいと感じているであろう。ここに、生きているもっとも基本的な喜びがあるのだろうと思う。……気持ちがよい『からだ』は『いのち』が気持ちよく存在していることであろうし、『こころ』も安心しているだろうと思う」
「『生きているのがかわいそうだ』『生きているほうがよいのだろうか』ではなく、『生きていることが快適である』『生きている喜びがある』という状態が可能であり……そのようなことがなされうるように社会的なとりくみをおこなうことが社会の役割であり、人間社会の在りようではないかと思うのである」
Fさんからの質問に、R看護師は「Mさんの体全体がリラックスされて、『気持ちいい』と言っている。その時、私はMさんから幸せをいただいているのです」とも話されたといいます。
後日、ある病院の研修会で私がR看護師の話をしたところ、数人の新人看護師から「Rさんのような分かる看護師になりたい!」と声をかけられました。
われわれがそうした重症心身障害者の看護や命の大切さなどについて話し合っていた頃、相模原市にある障害者施設の元職員が、利用者19人を殺害する事件が起こったのです。次回、あらためてお話しします。
■本コラム書籍「がんと向き合い生きていく」(セブン&アイ出版)好評発売中